中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

『荘子』―鶏となって時を告げよ (書物誕生―あたらしい古典入門)

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

荘子 第2冊 外篇 (岩波文庫 青 206-2)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

荘子 第3冊 外篇・雑篇 (岩波文庫 青 206-3)

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』*1を読了したのは12月の半ば。記憶が薄れないうちにメモしておく。


プロローグ


第I部 書物の旅路 『荘子古今東西
第一章 『荘子』の系譜学
第二章 中国思想史における『荘子』読解――近代以前
第三章 近代中国哲学と『荘子』――胡適と馮友蘭
第四章 欧米における『荘子』読解


第II部 作品世界を読む 物化の核心をめぐって
第一章 『荘子』の言語思想――共鳴するオラリテ
第二章 道の聞き方――道は屎尿にあり
第三章 物化と斉同――世界そのものの変容
第四章 『荘子』と他者論――魚の楽しみの構造 第五章 鶏となって時を告げよ――束縛からの解放


エピローグ
参考文献
荘子』篇名一覧

大まかに言えば、第I部では『荘子』がこれまで中国及び欧米で如何に読まれてきたかが纏められ、第II部では「斉物論」に出てくる「物化」を軸に「新たな『荘子』解釈」が「提案」される(p.4)。特に第I部について強調されるのは、「『荘子』はとっくに東洋の専有物ではなく、世界が遺産として継承すべき古典になっている」ということである(ibid.)。なお、この本における『荘子』からの引用は、著者によって郭慶藩『荘子集釈』(中華書局、1961)から翻訳されたもの。
第I部第一章では、『荘子』を「老荘」から切り離すことの必要が説かれる;

司馬遷老子韓非列伝において、まず孔子老子に会わせ、老子孔子に先んずるものとし設定した後に(中略)その老子を継ぐものとして荘子を描いた。しかし、これは司馬遷の父である司馬談が、当時流通していた「黄老」という概念に代えて、新たに発明した「道家」(司馬遷史記』太史公自序「六家要旨」)というアイデアを補強するために、『荘子』に収められたいくつかのエピソードから作り上げたフィクションであった。「老荘」という呼称は早くは『淮南子』要略篇に見えるが(それが一般的になったのは、三世紀から四世紀の魏晋期になってからである)、『史記』がそれをヒントにして「老荘申韓」と並称し、「道家」を構成していった可能性もある(池田知久『老荘思想』、一五−二九頁/八八−九七頁)。(p.10)
老子から荘子もしくは『老子』から『荘子』への継承関係が成り立たない以上、「老荘」という、後に作られ最も通行した概念では、荘子と『荘子』を捉えることは難しい」ということである(p.11)。
第I部第二章では先ず『荀子』の「荘子は天に蔽われて人を知らず」という批評が採り上げられる(p.15ff.)。曰く、

しかし、荀子にとって問題であったのは、孟子以後、「天」と「人」の関係があらためてといなおされていたにもかかわらず、荘子がそのことに敏感でなかったことである。孟子は「性」という概念によって、「天」と「人」を繋ぎ直した上で、「人」の領域の独自性(とりわけ倫理)を明らかにしようとした。そして、「天」と「人」の関係を切断する方向を強調していた。それに対して、荘子はあくまでも「天」にこだわり、「人」の領域を開発しようとしなかったと荀子には見えたのである。(p.16)
荀子 下 (岩波文庫 青 208-2)

荀子 下 (岩波文庫 青 208-2)

「無」を巡って。「『荘子』に見いだされる「無」の思想とは、「老荘思想」という概念が登場し、とりわけ『老子』読解における「無」の概念化が進んだ六朝期の議論を経た後に、遡行的に見いだされたものにすぎない」(p.21)。「「無」の思想」は

(前略)『老子』読解を行った魏の何晏(一九〇頃−二四九)そして王弼(二二六−二四九)によって深められていった。(略)この「無」は存在者ではなく、存在者を存在者たらしめている条件である。それは「有の欠如」でも「無形」でもなく、質料的なものとは関わらない。しかも、それは「道」からも区別され、その上位に置かれるほどに競り上げられた「根源」である。(ibid.)
 現存する中では『荘子』の最古の注釈者である「郭象は、王弼による「無」の競り上げの対極にいる」。彼は「無」を「「有」から切り離し、「有」を「有」そのものによって基礎づけた」(p.22)。彼は「万物が定められた「分」である自らの「性」に自足する世界」を「実現しようとした」(p.24)。

ところが、郭象は、「有」をいかなる根源からも切り離して、自己措定させた。それは、「有」に根拠がないということにほかならない。そうであれば、その「有」の世界は決して永遠不変のものではない。つまり、その「分」や「性」には常に偶然性の影が差しているのだ。「大鵬が高く飛び、斥鴳が低く飛び、椿木が長命であり、朝菌が短命であること」は、別の仕方であることも可能であったかもしれないが、この現実において、そのような「分」や「性」を偶然にも選択したために、そのあり方が必然となったにすぎない。
ここで考えるべきは、郭象の「斉同」と「物化」の解釈である。(略)『荘子』の「斉同」はしばしば、大小の区別や「性」の違いがないという無差別として捉えられてきた。しかし郭象が解釈した「斉同」は、大が大に自足することで成立するこの世界(それは他の世界から絶対的に切り離されている)と、小が小に自足することで成立するこの世界とが同一であるというものであって、無差別なのではない。(pp.26-27)
次いで、仏教者にとっての『荘子』が語られる。梁の時代の「神滅不滅論争」(p.33ff.)。仏教批判者である范縝の『神滅論』は「形神相即」、「「形(身体)」が亡べば、「神(精神、魂)」もまた滅ぶと主張した」(p.33)。それに対して、仏教擁護の曹思文『難范縝神滅論』や蕭琛『難神滅論』では、「「形」と「神」を二つの実体とした上で、両者の「相即」ではなく、「合」もしくは「合用」」を主張し、その論拠として、『荘子』「斉物論」から「胡蝶の夢」と「魂交」(「魂の交わり」)の話が援用されている(pp.33-36)。著者は「この神滅不滅論争を通じて、さらにはその中でも『荘子』読解を通じて、他者論という問題系が浮上してきた」ことが重要なのだという(p.40)。仏教徒の『荘子』読解は、「「万物斉同「というよりも、〈他なるものになる〉という「物化」を(中略)強調し、他者とのコミュニケーションという問題系を開いていた」(p.41)。さらに、「道教」における『荘子』の位置づけが採り上げられるが(p.41ff.)、これは省略。
第I部第三章で採り上げられるのは胡適*2と馮友蘭*3による、また魯迅による『荘子』読解である。
胡適荘子を「ヘーゲル弁証法」と比較したが(p.63)、彼にとって荘子は「達観主義」であった(p.62)。「胡適にとって荘子は、エッフェル塔の高みから変化する天下を見下ろすだけの傍観者にすぎない」。「荘子は、どのような変化にも心動かされず、すべてを「しかり」として肯定する傍観者であり、また社会に介入し、「革命」によって社会を変化させる能動性を欠いた傍観者なのだ」(p.64)。それに対して、馮友蘭にとって、荘子は「絶対的自由」と「絶対的平等」(p.66)を説いた「神秘主義者」である。彼は「荘子は達観しているのではなく、[ウィリアム・ジェームズのいう]「純粋経験の世界」において、「万物一体」を「真に感得」していると読解した」(p.68)。馮友蘭はスピノザを援用し、「感情を動かすことなく、出来事のゆえんを知る、理知分別のある「自由」なる人」としての荘子を想定している(p.72)。しかし、著者は、『エチカ』やドゥルーズの『スピノザ――実践の哲学』によれば、スピノザが主張したのは、「感情を無化することではなく、悲しみの受動を喜びの能動に転化すること」(p.71)、「能動的な喜びの感情の充溢」(p.72)であり、「馮友蘭が解釈する荘子」とスピノザとは「実は違う」(ibid.)という。魯迅は『故事新編』に収められた「起死」で「世俗を超出しているはずの荘子がいかにも世俗的である様子」を嘲笑している(p.73)。また、著者は魯迅荘子に対するスタンスの両義性について、

魯迅は、荘子の「出世の説」を嘲弄し、この世界に徹するしかないと観じながらも、しかし、なお一筋の逆方向の神秘主義に賭けていたように思われる。つまり、この世界の彼方に神秘を設定し、自己の心を通じてそれに向かって世界を還元するのではなく、この世界そのものが神秘であると考え、自らを変容させながらその秘密に触れようとする神秘主義である。(p.78)
エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)

スピノザ (平凡社ライブラリー)

スピノザ (平凡社ライブラリー)

故事新編 (岩波文庫)

故事新編 (岩波文庫)

第I部第四章では、欧米(仏蘭西語圏と英語圏)における『荘子』読解が紹介される。
仏蘭西語圏のものとしては、Jean-Francois BilleterのLecon sur Tchuang-Tseu(2002)(p.82ff.)。彼は『荘子』を『老子』や(宗教としての)道教と切り離して読むことを提唱する(p.83)。彼によれば、『荘子』の要諦は「「人のレジーム」から「天のレジーム」への移行であり、「天のレジーム」の中でもさらに上位のレジームである「遊」への移行である」(p.92)。ビルテールのいう「遊」とは「身体が「静」において全面的に開放され、精神がその身体によって運ばれていくようになる状態」である(p.90)。
著者は英語圏の『荘子』読解の特徴として、「重要な問題系」としての「言語」への着目を挙げている(p.93)。例えば、Anger Charles Graham Chuang-Tzu: The Inner Chapters, 1981)。「グレアムは、『荘子』は単純に言語を拒絶したのではなく、言語を用いて言語化困難なものを伝達しようと考えた」(p.95)。そのために、「物語や、詩、警句、そして手に入るあらゆる言語手段を用いる」(ibid. グレアム『荘子内篇』からの引用)。また、Chad Hansen(A Tao of Tao in Chuang-Tzu”)。「絶対主義的な解釈すなわち形而上学的な解釈に代えて、ハンセンは「道」を言語的と見ることによって、[「荘子の言語に対する否定的な態度と、荘子の生産的な言語使用」(Youru Wang)との]矛盾を生じないような相対主義的な解釈を展開しようとする」(p.98)。「ハンセンは、複数の「道」(ある特定の是非を主張する言説の体系)があり、その中では事物とカテゴリー(名)の割り当ての関係がある仕方で設定されていて、その限りで「言語の適合性」が認められるが、その割り当て自体は自由に変化しうるという相対的な解釈を施している」(p.100)。脱構築を継承した自称「ポストモダニズムなしのポストモダン的アプローチ」(p.102)によってグレアムやハンセンを批判する Youru Wang(王又如)(Linguistic Strategies in Daoist Zhuangzi and Chan Buddhism: The Other Way of Speaking)。王の論に対して、著者は懐疑的である。

王は「無言の言」という表現を用いて、グレアムに見た、荘子の言語に対する否定的態度と言語を用いた生産的な語りとの「矛盾」を解消するとともに、ハンセンの主張する「言語の適合性」という考えも乗り越えようとする。
しかし、王の言う「無言の言」が、「何かを語ると同時にそれを抹消する」という「自己抹消」であるとすれば、それこそ「ロゴス中心主義」の核心にある仕掛けではなかっただろうか。それは、根源的なロゴスとしての隠喩を特権化するにすぎない。事実、王は『荘子』における言語の忘却について、やや素朴に見える解釈を行っている。(p.104)
「やや素朴に見える解釈」とは「外物篇」の「蹄筌の故事」、つまり

筌〔魚を捕まえる仕掛け〕は魚をとらえる手段で、魚を手に入れれば筌を忘れる。蹄〔動物を捕まえるわな〕は兎をとらえる手段で、兎を手に入れれば蹄を忘れる。言は意をとらえる手段で、意を手に入れれば言を忘れる。わたしはそのような忘言の人と出会って言葉をかわすことができようか。
というパッセージに対する「忘却という概念は、言語の放棄を意味しているのではなく、よりよく語り、よりよく伝達し、よりよい結果を得ることを教えている」という解釈(p.105)。これに対して、著者はそんな言語使用は「もはやいかなる批判も届かない言語使用ではないだろうか」と訝り(ibid.)、「王の「解決」は、本人が望むようには脱構築的ではないし、その「ポストモダニズムなしのポストモダン的アプローチ」は、かえって『荘子』に潜む言語の形而上学を明るみに出してしまったと思われる」と述べる(ibid.)。また、

そもそも、グレアムにしろ、ハンセンにしろ、言語を超えた実体としての「道」を設定することによって、言語の相対性・二次性を主張していたわけではない。つまり、言語を否定することで、根源としての「道」を回復するという素朴な論を立てているわけではないのである。「道」もまた言語的であり、言語活動の効果にすぎない。そうであれば、その言語を否定することによって何をしようとしているのか。一つには、王が見たように、「忘言」によってより経済的な効果(「よりよく語り、よりよく伝達し、よりよい結果を得る」)を手に入れることである。しかし、それではこの世界のレジームを強化するだけであろう。(pp.105-106)
かくして、「『荘子』の言語に対する否定」における「別のダイナミズム」の探究が 第II部における課題のひとつとなる。
第II部については次回。