また、この前のパラグラフでは、
日本も中国も昔から人口稠密な土地であった。農村では人海戦術での農作業風景が見られ、街を歩けばひっきりなしに肩が触れ合う社会が成立している。他人が日常的にすぐそばにいて、他人と関わらずには生きていくことすらできない社会である。そういった風土では、他人とのよき付き合い方を説く倫理が必要とされるであろう。そこで儒教は努力して君子となることによって、疑いえない社会的善に従って生きるエリートの自覚を持って生きる道を教える。信念を持っているから自在の進退ができるのであって、たやすく死にはしないのである。人間の海の中で生きるためには、他人との関係を勘定に入れなくてはならない。儒教の仁・義・礼・智の徳は、いずれも「他人に配慮する」心を表した社会的善であり、それを心の中に信念として持てと言うのである。儒教は社会の海の中で生きる、エリートの倫理である。それは日本の武士階級の倫理としても導入されたが、幕末の武士たちの行動を見るとどうやら完全に染まり切ることはなかったようだ。武士たちは孔子や孟子よりももっと熱狂的で、良く言えば損得を顧みず大義に向けて突進し、悪く言えば命を大事にせず、生きるための道をよく考えない。それはむしろ、「侠」の精神である。「侠」の精神もまた、他人の視線を心の勘定に入れて、他人のために命を賭ける。それは、「他人に配慮する」心から発するものであろう。しかし、天命尽きるまで己を修めて生きろと教える儒教と、「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』)という精神との間には、自分の命の価値についての考えに相当の開きがあるようだ。日本人の倫理観は、儒教というよりはむしろそのライヴァルであった墨家思想に近いと言うべきであろう。
http://suzumoto.s217.xrea.com/website/mencius/mencius12-14.html
とも言われている。
幕末のサムライたちを突き動かしたのは、ナショナリズムの宗教的熱狂であった。吉田松蔭もそうだ。しかし孔子や孟子の進退は、熱狂から遠く離れた冷静でしたたかなものであった。
『葉隠』は「儒教」よりも仏教的な無常観の影響を受けているといえるのではないか。また、吉田松陰などの背後にあるのは陸王の学、すなわち陽明学だろう。また、白川静先生が指摘しているように、孔子が「狂」に肯定的な態度を取っていたことも考えなければならない。だから、「墨家思想」を持ち出してくるのはどうか。ただ、儒教(特に朱子学)は基本的に合理主義的であり、徳川時代の儒教は「革命」思想を封印したものであったといえる。そこにおいて〈革命思想〉が生成するためには、〈不合理〉が導入されなければならず、かくして陽明学を経由して「狂」が導入されたとは、かなり昔に(書名もはっきりとは覚えていないが)奈良本辰也氏の本で学んだ*1。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070209/1171046447で、「「墨家」が非中国的なものと見做され、清末には墨子=モーゼとする説も現れた」と書いたが、その根拠のひとつとしては、中国思想においては儒家も道家もゆるやかな無神論と見なせる立場を取っていたのに対して、墨家だけは明確に一神教的な立場を取っていたということがあるのだろう。「幕末のサムライたち」と墨家を結びつけるのはいくら何でも違うだろうけれど、日本において墨家に通じるものがあるとすれば、所謂〈職人気質〉とか〈ものづくりの精神〉だろう。勿論、直接影響したなどという根拠はない。ただ、通じるものがあるというだけだ。最近は、墨家というと平和主義的な側面が注目される。しかし、墨家はそもそも工人(エンジニア)集団だった。王小波が高く評価している墨家の論理性*2もその技術的実践から生まれたものだろう。その後、中国では長らく〈工の思想〉は生まれなかった(だから、近代化に乗り遅れもした)*3。
久々に、白川静先生の「狂字論」(in 『文字遊心』)を捲ってみた。
- 作者: 白川静
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1996/11
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 7回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
ルネサンスの時代になっても、なおいかがわしい異端審問・魔女裁判*4の嵐が吹き荒れていたヨーロッパのような狂気があらわれることは、ここ[中国]ではなかった。アニミズム時代の妖怪たちは、狐神や異種求婚譚のような民間信仰や民話のなかになじみ、あるいは〔西遊記〕などのアニメ的な世界のなかで、民衆と共存した。狂気の世界は、むしろ知識社会の伝統のなかで、折々に吹きあげる火山のように、ときにはげしい爆発をみせた。しかしそれは、狂気が理性に内在し、その理性を自己疎外的に支えるごときものとしての狂に、すなわち自らを精神史的な意味を荷なう狂にまで高めることによって起るのである(p.23)
狂はロゴス的な世界のなかで、理性の否定者としてあらわれる。しかもそれは理性に内在する、内なるものである。この理性への反逆者は、「これを裁する」ことによって、はじめて理性を支えるものとなり、理性の一つの形態となる(p.29)。