滑稽―古代中国の異人(ストレンジャー)たち (岩波現代文庫)
- 作者: 大室幹雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/12/14
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大室幹雄『滑稽 古代中国の異人たち』(岩波現代文庫、2001)を数日前に読了。
狭義の「滑稽」(道化者)というのは本書の副題にある「古代中国の異人たち」の一例にすぎないといえるだろう。本書の内容は(かなり味気なくなるが)《古代中国における逸脱者の諸相》とでも改めて題すればかなりわかりやすくなるかも知れない。ここにいう逸脱というのは、正気に対する狂気、〈健常者〉に対する〈障碍者〉、定住者に対するノマド*1、農村に対する都市、国人に対する異民族、凡人に対する悪人や聖人等々を含む。要するに、普通ではない、尋常ではない者たちのこと。特に重要なのは、諸子百家といわれる「知識人」も、上に列挙した後の方の項に組み入れられているということだろう。それも後に異端とされた諸家だけではなく、一見「滑稽」とは対極にありそうな孔子や孟子も*2。また、「滑稽」を統御する王や皇帝たちも「滑稽」以上に「滑稽」的な資質やコスモロジカルなポジションを持った者たちであった。曰く、
第一章 〈滑稽〉合戦
第二章 胡服騎射
第三章 覊旅の臣
第四章 進取と自完
第五章 姦人と聖人
第六章 暴君の鏡
第七章 〈滑稽〉の帝国
参考文献
付論1 都市的人間――古代中国知識人の行動の構造
付論2 雞鳴考
取り急ぎ、本書の後半部から幾つかの塊を引用しておくことにする;
残念ながら(略)中庸人の典型は、古代中国の作品にはみあたらないといってよい。理由は単純である。たとえば『史記』の作者の意識において、世界を動かし歴史を創り出すのは、帝王・聖人・英雄そしてまた異人であって通常人などではなかったからである。あるいは「中庸」の徳を提唱したとされる儒家の学者子思もけっして通常人ではなかった。おそらく文盲率九九パーセントを上まわろうという古代社会にあっては道徳家であるということはそれだけでパロールの過剰を意味した。すなわち、「中庸」を当為として意識すること自体がすでに中庸逸脱以外ではなかったからだ。歴史に登場することのない通常人もまた問題的な存在であり、彼自身にとって死に至る病であるという現実発見の名誉は主として西欧近代におけるリアリズム作家と精神医学者と群集心理研究家たちの業績に帰せられるのである。(p.249)
〈滑稽〉とは、それ自体がお芝居である世界の中心いわば世界劇場の舞台の真ん中に、中心の中心の中心たる帝王をとりまいて喋り唱い跳ね踊って嬉遊する異人(stranger)だったのである。彼もまた一身に体現した過剰の境界逸脱性すなわち偏異性(strangeness)を武器に世界の中心に闖入し、日常生活の秩序を攪乱し、通常人の安固な世界感覚を混乱に陥れて無気味な怪訝と新鮮な驚愕によって彼らにもう一つの世界の所在を開示する鏡の創造者にほかならなかった。(pp.247-248)
〈滑稽〉の説話論的・宇宙論的意味については、本書でも参照されている山口昌男先生の『アフリカの神話的世界』と『道化的世界』をマークしておく。また、古代中国知識人・官僚の「奴隷」的起源に関しては、宮崎市定「東洋的古代」の中の「奴婢と臣妾」(p.87ff.)を参照のこと。本書にも登場する武帝時代の〈滑稽〉東方朔については、白川静先生*3の『中国の古代文学』第二巻の記述をマークしておく。
すでに反復する要もないが、世界すなわち帝国は境界を設定して中心を確立し内部からじつに多くのものを排除する。しかし歴史は世界のあるべきかたちのまま持続するとはかぎらず、むしろじきに帝国の内部に反秩序の異和性(strangeness)を生みだし、やがては境界の外部に放逐したはずの異人性(strangeness)がふたたび越境し侵入してくるや、これら内外二種の逸脱性はいとも容易に野合を果たして帝国そのものを倒壊させる。逆にいえば帝国は周辺的なもの、奇異なもの、逸脱したものを内部に取りこまないかぎり、文化をはじめとする新たな存在形式を創造することができないし存続することすら不可能である。逸脱性もまた個々の人間により負荷され表現されるのはいうまでもない。帝国の中心と境界外部でたえず歴史として活動するかかる力学を熟知していた武帝は、内部の反秩序の興隆を予防的に阻止すべく、ケレニィのいわゆる「無秩序の精神」の具現者である〈滑稽〉たちを積極的に中心内部に呼びこんだのだった。というのも、本質において道化にほかならぬ〈滑稽〉は、ウィルフォードもいうように、秩序と渾沌、生と死の相克闘諍が境界内部の帝国でも起こりうることを具象化してみせ、そうした危機と脅威の可能性を想像力にむかって開示し、そのことによって危機と脅威を軽減する、と同時に世界の原初的秩序を回復してみせるものだからだ。すなわち〈滑稽〉は世界の、だから生の「全体性の原理を体現している」のである。(pp. 277-278)
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See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090812/1250048512
*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090619/1245441165
*2:これは西側で言えば、思想史的にはソフィストたちの息の根を止めたソクラテスが彼自身一級のソフィストだったということに対応するか。
*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061101/1162391208 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061106/1162752516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070918/1190118272