南北を超えて

興膳宏『中国名文選』*1から。
荘子』「応帝王篇」の渾沌殺しの話*2


「南海の帝」と「北海の帝」がここで登場するのは、逍遥遊篇の「南冥」と「北冥」に照応するようでもある。「儵」も「忽」も、すばやさ、すばしこさを意味するとともに、きわめて短い時間の意にもなる。「儵忽」と重ねると、にわかに、たちまちの意の擬態語となる。常識的な世界に生きる人間の頭の回転の速さを暗示しながら、同時に人命のはかなさや人知の浅はかさを象徴してもいる。一方の「渾沌(「渾」は「混」に同じ)は、音尾を同じくする擬態語で、ものの形がはっきりしない未分化の状態をいう。つまりノッペラボウ。あらゆる矛盾と対立を一つにつつむ荘子的実在の象徴である。いま、ギリシア語のカオス(chaos)の訳語に「混沌」を当てるが、それがコスモス(cosmos)すなわち秩序の反対概念としての無秩序や混乱を意味するのとは、本来的に異なる。「七竅」は、両目・両耳・両鼻孔と口の七つの穴をいう。
人間のさかしらが、あるがままの存在を破壊するという諷刺は、『荘子』内篇の掉尾にふさわしい痛快な寓話である。(p.47)