「雅楽」と「神仏分離」

花澤茂人*1「宗教的土壌からひもとく雅楽」『毎日新聞』2020年2月8日


雅楽コスモロジー 日本宗教式楽の精神史』の著者で、「天王寺楽所 雅亮会」理事長の小野真龍氏の話。


雅楽*2は、仏教儀式を荘厳するため飛鳥時代に取り入れられた外来音楽が発展し平安時代に成立したが、思想的には日本古来の神への信仰もベースとなった。また、「神の末裔」とされる天皇や貴族層が担い手となることで聖性が高められ、平等救済を理想とするはずの仏教でも「浄土の音楽」として奏で続けられた。「日本の神仏は『習合』しつつ、互いに侵すことのできない核を保ち続け『融合』はしなかった。雅楽はそうした霊性の中で形成され、また雅楽によってその宗教形態は深められたのです」
そのバランスを崩したのが明治初期の神仏分離政策*3だ。国家神道の下、雅楽天皇の神聖さを演出するための音楽となった。京都、大阪、奈良でそれぞれ伝統を保っていた楽人たちも東京の宮内省に集められ、仏教的な作法や故実は排除された。他方、民間では畿内雅楽の伝統を守る動きも起こったが、小野さんは「『宮内庁に伝わる雅楽だけが本物』という考えは数十年前まで根強かった」と語る。
さて、「雅亮会」は「小野さんの曽祖父で、小野妹子の八男・多嘉麿を開基とする浄土真宗本願寺派願泉寺大阪市)の住職だった小野樟蔭(経龍)が有志と共に組織したもの」。周知のように、浄土真宗においては、聖徳太子信仰は篤く*4四天王寺との関係もまた深い。この「小野妹子の八男」というのはその鍵となる人物なのだろうか。勿論、小野妹子の時代に「浄土真宗」は存在しなかったわけだけど。