修験から陰陽道

最近http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100809/1281388461で「陰陽師」を採り上げているのだが。
『読売』の記事;


戦国時代の陰陽道指南書、福島で発見


 陰陽道(おんみょうどう)に基づいて生活に必要な知識を書き記した戦国時代の貴重な書物が、福島県只見町の個人宅から見つかった。

 同町と国立歴史民俗博物館が18日、会見して明らかにした。

 見つかったのは、陰陽道の指南書「陰陽雑書抜書」と占いの書「●▼(ほき)傳」の写本で、それぞれ永禄6年(1563年)、元亀3年(1572年)頃に写されたものとみられる。現存する写本のうち、「陰陽雑書抜書(おんみょうざっしょぬきがき)」が2番目、「●▼傳」が3番目に古いものという。(●はたけかんむりの下に甫・皿、▼はたけかんむりの下に艮・皿)

 両書は、田に水を引く日や山で木を切る日など、日時や方角の吉凶を記しており、節分など現代に残る風習についても書かれている。「布を裁つのに良い日」「元亀三年壬申(じんしん)十月五日の夜灰降る」などと読める、原本にはない書き込みが漢字とカタカナでされており、生活に根付くものとして長く使われてきたことがうかがわれるという。ほかにも、陰陽道に関する写本など約400点が見つかった。

 明治時代に廃寺になった只見町の修験寺院「龍蔵院」と「吉祥院」を継承してきた個人宅で保管されていた。国立歴史民俗博物館准教授の小池淳一さんと東洋大学文学部講師、久野俊彦さんが2004年に貴重な書物であることを確認、内容などについて調査を進めてきた。

 小池さんらによると、陰陽道の資料が系統の違う修験寺で散逸せずに残っていることは、非常に珍しいという。

 久野さんは「京都から遠く離れた山奥にも、都の知識が流入していたことを示すもの。地方にこんな豊かな文化が根付いていたということを知るきっかけとなってほしい」と話している。 
(2010年8月22日10時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100822-OYT1T00253.htm

山伏(この場合は里修験というのか)の屋敷を「寺院」といっていいのかどうかはわからない。明治5年の神仏分離令によって、修験道は禁止され、生き延びるためには神道か仏教(真言宗天台宗か)を選ばなければならなかった。「明治時代に廃寺になった」ことの背景にはここら辺の事情があるか。
ところで、只見は福島・新潟の境にあるけれど、南に下ると栃木県の日光であり、さらに南下すると鹿沼。ここには火事除けと天狗信仰で知られる古峯神社*1あり。また、ここは日光修験の起源でもある。
修験道について調べようと思い、戦後天台宗天台寺門宗)から独立した本山修験宗のサイトを探したが、宗派としてのサイトはないようだ。その本山の聖護院のサイトはhttp://www.shogoin.or.jp/