奇妙な安心

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

鵜飼秀徳*1『仏教抹殺』を読んでいる。鵜飼氏は明治時代の「廃仏毀釈*2の前史として、江戸時代における諸藩のは「排仏」政策に言及している(p.31ff)。そこで鵜飼氏が依拠しているのは、圭室文雄『神仏分離』。実は、江戸時代の反仏教政策に関する知識はこの本を読んで以降殆どアップデイトされていなかったので、鵜飼氏の叙述を読んで、今でも通用するんだ! と妙な安心感を覚えたのだった。

神仏分離 (1977年) (教育社歴史新書―日本史〈113〉)

神仏分離 (1977年) (教育社歴史新書―日本史〈113〉)

  • 作者:圭室 文雄
  • 出版社/メーカー: 教育社
  • 発売日: 1977/10
  • メディア: 新書
鵜飼氏が圭室文雄に依拠して纏めるところによると、江戸時代における「仏教批判」の潮流は4つに分類することができる(pp.32-33);


1「儒学者のグループ」
2「吉田神道の勢力」
3「国学者のグループ」
4「後期水戸学のグループ」


一つ気になったのは、(朱子学者としての)林羅山、(陽明学者としての)熊沢蕃山、また「吉田神道」は言及されていても、山崎闇斎*3の名前が見当たらないこと。彼は朱子学者であるとともに、神道家として垂加神道*4をはじめている。また、圭室本では排仏藩の例として津和野藩が取り上げられていており、今でも印象が強いのだけど、鵜飼本では明治の津和野藩における廃仏毀釈は取り上げられていないようだ。薩摩藩などに比べれば酷くなかった? ところで、保科正之山崎闇斎の弟子で、それ以降会津松平家の宗旨は神道になった。ただ、会津藩の排仏政策というのは聞いたことがない。