「家業」と「学問」

熊倉功夫後水尾天皇*1から。
「慶長十八年公家衆法度の特徴は、禁止項目ばかりでなく、あらたに公家の仕事を規定した項目が冒頭に置かれている点である」)(p.58)――「一、公家衆、家々之学問、昼夜油断なき様、仰付けられるべき事」。
また、元和元年の「禁中幷公家諸法度」の第1条は、「天子」(天皇)の「つとめ」についてである。


天皇のつとめは芸能であると、とまず規定した。さらに、そのなかでも学問を第一として、具体的に経史、『群書治要』といった漢籍宇多天皇の遺誡を引いて勧めたあと、和歌の道こそ、天皇のもっともたしなむべき道としている。さらに『禁秘抄』(順徳天皇が著した禁中行事に関する書で、後世の有職の基準となった)をあげ、禁中の行事、有職の知識を学ぶように勧めた。
(略)
まず、天皇のつとめを芸能ととらえている。ここでいう芸能とは、現在の芸能界とか芸能人という使用法とは異なり、いわば教養として心得べき知識の総体を指す言葉で、中国の六芸(礼楽射御書数)をも含み、かつ、日常の室礼や芸道にまで及ぶ内容の言葉である。だから。それはいいかえれば狭義の文化一般をさす言葉といってよいだろう。天皇が文化の面の最高権威であり、文化そのものの体現者である、ととらえられた。
では文化のなかでとくに何が要求されるのかといえば学問である。天皇の場合と公家の場合で少し異なるのは、公家の場合、「家々の学問」という枠がはめられていることだ。この家々の学問というのは。のちに公家家業といわれる公家の家についた特殊な芸道をさしている。(後略)(pp.59-60)

(前略)それまであまり明確でなかった家業という概念が幕府によって公的に認定されたことは重要であって、たんなる「家之学問」とか「家之道」(これは文禄四年〔一五九五〕の豊臣秀吉の発した法令にみえる言葉であるが)といわれていた技芸が、公家の特権と化する道が開かれたのである。公家衆法度によって幕府は公家の行動を規制した。と同時に、実はその権利を保護した側面があることをみのがしてはならない。(p.60)