みんな漢語?

松尾貴史*1「「お前、粋じゃねえよ」 人前で指摘するとは無粋な」『毎日新聞』2019年11月10日


曰く、


関西弁では「粋なお方やなあ」「粋な浴衣」というように、発音としては「すい」と言っていたが、最近ではこの読み方を使う人は少なくなった気がする。元々は「極めて優れた」という意味もあって、「現代技術の粋を集めた」「京の職人の粋を尽くした」「酒造りの粋を極めた」というような使われ方は現在でも残っている。
「いき」という読み方は当て読みで、そもそもは「心意気」「生意気」「男意気」「意気込み」などのように「意気」だった。
逆の意味の「野暮」という言葉がある。「野暮なことお言いでないよ」「この野暮天!」「そばをつゆにどっぷり漬けるのは野暮だ」など、意気ではない、がさつで鈍感で洗練されていない様子を指していう言葉だ。「無粋」と似たような使われ方をするが、少しばかり対象になる者への親しみが残されているニュアンスを感じる。
語源は、田舎風をたとえて「野夫」としたのがなまったのだと言われている。雅楽に使う笙の音の出ない管「也」「毛」が役に立たないことから来ているという高尚な説もあるが、庶民に広まった可能性を考えると前者のような気もする。
考えてみると、「粋」にしても「意気」にしても「野暮」にしても、みんな音読みの言葉、つまり漢語なのだった。「粋」を英語のsmartやchicに訳してもしっくりこないという話が続いているのだけど、漢字以前の大和言葉ではどう謂うんだろう? と思った。因みに、九鬼周造は平仮名で『「いき」の構造』*2
「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「野暮」のイメージだけれど、田舎者は田舎者だけど、勉強ができる田舎者という感じ。与謝野晶子にからかわれた「道を説く君」*3本居宣長なら、漢意! と嘆くだろうけど、そもそも「粋」も「意気」も「野暮」も全て漢意の中でぐるぐる回っているのだった。

*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080402/1207104053 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151118/1447868042 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161002/1475418834 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/22/084422

*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/08/200955

*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060207/1139318386 俵万智の「チョコレート語訳」によれば、「燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの」(「与謝野晶子みだれ髪チョコレート語訳の挑戦」http://www.for-you.co.jp/tour_sakai/akiko/arekore/tawara.htm なお、この歌は永田和宏『近代秀歌』に収録されている。

近代秀歌 (岩波新書)

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