プロテスタンティズムと仏教(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101204/1291472573http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101221/1292961164に関連して、磯前順一「近世「仏法」から近代「仏教」へ」(『春秋』522、pp.1-4、2010)から少し抜書き。
「今日われわれが口にする「仏教」という言葉は、仏法や仏道といった近世的な認識布置から、”Buddhism”という西洋近代的な宗教概念への転換が暗黙の前提とされているのである――


ここで言う近代とは、江戸時代までの中国・朝鮮・オランダのみと制約したかたちのでの交流とは異なって、西洋列強の帝国主義競争のなかに包摂されていった時代をさす。そのなかで宗教という、諸宗教を包摂する概念が異文化の接触する状況のなかで必要とされるようになり、同時にその構成要素として組み込まれたキリスト教、仏教、イスラーム教、あるいは神道儒教が固有の特質をそなえた個別「宗教」として認知されるようになる。厳密にいえば、キリスト教や仏教がまさに宗「教」の中核を構成するものとして見なされるようになる一方で、神「道」や儒教――儒「学」とも呼ばれる――は、完全には宗教という範疇に合致しないものとして、道徳といった範疇のもとに、宗教という領域の外部やその周縁に位置づけられるようになる。(p.1)

(前略)個人の内面に主眼をおいたビリーフ中心主義。そして世俗と宗教の分離を前提としながらも、その個人の内的意識を統治対象に据えることで国民陶冶をはかる国民国家が成立することで、西洋近代的な、プロテスタンティズムを軸とする「宗教」概念は初めて成立可能になったのであって、それは宗教改革や市民革命を経た西欧社会および合衆国が日本に接触するようになるまで待たなければならなかった。少なくとも、宗教史的な観点からいえば、そのような世界への包摂をもって日本社会の近代は始まったのである。(p.2)

(前略)西洋の仏教学によって仏教の歴史的起源がたどられるなかで、かつてみずから大乗仏教と名乗った北伝仏教の側からは、小乗仏教とさげすまれた南伝仏教との優劣関係は逆転し、南伝仏教こそが仏教成立当時の姿を強くとどめるものだという「大乗非仏説」論が主張されるにいたったのである。 大乗非仏説論はヨーロッパにおいて、ルナンやシュトラウスの史的キリストの探究に刺戟を受けて、リス・デイヴィスらによって「史的仏陀」をめぐる解釈として形成されてきた研究である。
(前略)アジアの仏教もまた、みずからを「仏教」という宗教あるいは哲学として認識するためには、キリスト教的伝統のもとで育った――それが自己批判的な姿勢であったにせよ――西洋の仏教研究者の眼差しを内在化していくことが必要であった。しかも、メアリー・ルイス・プラットが指摘するように、一般にこのような文化接触は自由意思にもとづく拒絶を許容するような対等な関係ではなく、宗主国と植民地のような、圧倒的な政治的格差のもとで回避できないものとして起こる(Mary Louise Pratt Imperial Eyes: Travel Writing and Transculturation, London, Routledge, 1992)。
仏教の場合で言えば、アジアの諸地域によるプロテスタント的な宗教概念の内在化は避けがたい事態であったといえよう。一方で、西欧人にとって無の思想を説く仏教は、衰退するキリスト教信仰を補完する宗教的な魅力に満ちたものであると同時に、一神教の人格神信仰を根底から揺すぶる脅威的な教説でもあったのだが。
このような西欧の仏教観と接触するなかで、アジアの仏教は北伝仏教と南伝仏教という相違をはっきりと意識するようになり、北伝仏教に属する日本は、西洋仏教学の唱える大乗非仏説論の影響のもと、パーリ語に基礎をおく南伝仏教との接触を求めて、漢籍に依拠する近世仏教からの再生を図る一方で、比較宗教学者であるマックス・ミューラーの指導をえた南条文雄のように、漢訳仏典のもとをなすサンスクリット典籍の研究にも勤しんでいく。
それは、当時のかれらの意識からすれば、仏教本来の純粋さへ回帰しようという動きであり、明治初期の神仏分離運動ともに、大乗非仏説論は、神仏混淆化した近世仏教を真正な教えに立ち戻らせようとする欲求を惹起したのであった。(pp.3-4)
世界の諸宗教のプロテスタント化ということを巡っては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050619http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101209/1291915158でも言及したバーガーのHeretical Imperativeをここでもマークしておく。
Heretical Imperative: Contemporary Possibilities of Religious Affirmation

Heretical Imperative: Contemporary Possibilities of Religious Affirmation