1年経って

承前*1

松岡宗嗣「同性婚訴訟から1年、「想定していない」国はいつまで言い訳を続けるのか」https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20200214-00162948/


昨年のヴァレンタイン・デイに「婚姻の平等」、「同性婚」の合法化を求めて、全国各地で訴訟が起こされてから1年。


婚姻の平等を求めて複数の同性カップルが全国で一斉に提訴した「結婚の自由をすべての人に」訴訟の提起から今日で1年。「同性婚」の法制化の機運は高まっていると言えるだろうか。

札幌、大阪、東京、名古屋に、昨年9月福岡地裁が加わり5つの地裁で訴訟は進行中。さらに昨日、東京地裁で新たにトランスジェンダーカップルが追加提訴することが発表された。各地裁によって進行は異なるが、来年の春頃から地裁判決が出始めると言われている。

一貫して国側は、憲法同性カップルの結婚を「想定していない」ため、民法同性婚を認めていないことは憲法違反ではないという主張を繰り返す。さらに、婚姻制度は「子どもをつくるための制度だ」と言う主張まで繰り出され、異性カップルであっても、子どもを持てない/持たない人々がいることや、同性カップルでもすでに子育てをしている人たちの存在を無視し、多くの批判を呼んだ。

松岡氏は、日本国憲法では「同性婚」が禁止されているとして*2、「同性婚」を「改憲」へのルアーにしようとする傾向を批判しているので、メモしておく;

未だ根強く残っている同性婚憲法の関係性に対する誤解の一つとしてあるのが、憲法24条1項にある「両性の合意」は男女のことを指しているから、同性婚は”禁止されている”のではないかというものだ。

そもそも憲法は拷問の禁止のように、禁止するものは「禁止」と明確にしている。憲法ができた1946年当時、世界で同性婚を法制化している国はどこにもなかった中で、確かに同性カップルの結婚を想定することは難しいだろう。「両性の合意」は、それまで結婚は家長によって決められていたものを、当事者二人の合意でできるものとするために明記されたもので、これは同性婚について何も規定していない。

同性婚は想定されていないーー。これに対する反論はシンプルだ。同性カップルは実在しており、想定すれば良い。訴訟を通じて問われているのは、憲法制定時に想定されていなかった(いたけれど見えなかった)人々が「見える」ようになった、その存在を無視し続けるのか、しないのかだ。

その答えは明白だろう。いまや世界では約28の国と地域で同性婚が法制化され、国内でも34の自治体でパートナーシップ制度が導入されている。もう同性カップルの存在は「想定されていない」という言い訳は通用しない。

憲法14条は法の下の平等をうたっており、異性間にのみ婚姻の自由が保障されているのは不合理な差別だ。憲法24条1項の「婚姻の自由」は、むしろ同性カップルの婚姻も保障していると言えるのではないか。

憲法同性婚を禁止していないということは、婚姻に関する民法を改正すれば、同性婚は可能になる。すでに昨年6月、野党が婚姻平等法を国会に提出している。与党がこの法案の議論に応じれば、今国会でも同性婚を法制化することはやろうと思えばできるのだ。


自民党は、憲法改正論の中で「同性婚」を論点の一つとして提示するようになってきている。これは一見喜ばしいことのように見えるが、注意が必要だ。なぜなら、同性婚が他の論点を隠しながら憲法改正への意識を向けるための「エサ」として使われてしまう懸念があるからだ。

昨年、自民党下村博文衆議院議員が、憲法改正の対象となり得る議論のテーマの一つとして同性婚を挙げ、自民党女性局は先月、憲法改正に関する冊子の中で同性婚を認めるアイルランド憲法などの例を紹介した。

もし、本気で同性婚を法制化する気があるのなら、憲法改正論ではなく、上述した通り、今すぐ野党の提案した婚姻平等法を審議すれば良い。そもそも自民党の提案する憲法改正草案の24条では、異性愛を前提として「家族」の責任や規範を今より強化する内容となっている。これは同性婚の法制化をむしろ今より遠ざける内容ではないだろうか。

つまり、「本当は同性婚を法制化する気はないが、憲法改正論に目を向けさせるためのエサとして同性婚が使われてしまっている」と思われても仕方がない状況だ。