渡辺裕on「ソノシート」

渡辺裕*1「文化の原動力とは何か」『毎日新聞』2017年3月14日夕刊


冒頭のセンテンスは「ニッポン放送をめぐるフジテレビとライブドアとの争いが過熱している」。


「メディア」という語はもともと「媒体」とか「仲介者」といった意味だから、提供される「内容」はどこか外にあり、それ自体は「内容」とは直接に関係のない「透明」な存在であるかのように思われがちなのだが、そのメディアがどういう「業界」に担われ、どういう顧客や販路をもつかということは、実は「内容」に関わる重大事なのである。
その例としての「ソノシート*2

(前略)原理はレコードと同じだから、安上がりな代用品くらいにしか思われず、レコード史の中でもあまり語られることはないが、このメディア、安価で軽いという利点を生かして独自の文化を作り出した。決定的だったのは、既存のレコード会社ではなく、新聞社や出版社などの活字メディアが目をつけ、本や雑誌の付録につけたり、「フォノブック」等の名の「音の出る本」という新コンセプトでの展開を図ることによって、それまでのレコードにない販路や顧客を開拓したことである。
その象徴が、一九五九年創刊の『朝日ソノラマ』という月刊誌だった。そのバックナンバーをあらためて見直してみると、とりわけ初期の頃には、レコードという既成の枠をはるかにこえた意慾的な試みが次々と行なわれていることに驚かされる。音楽に直接関わるものだけみても、雅楽の録音をテンポをいろいろに変えて再生し、八倍速にしてみたらジャズと似ていたので、そのままジャズのコンボにつなげてしまうという奇想天外な実験もやっている。
また朝鮮半島で録音した民謡と日本人の新作歌曲をナレーションによってつなぎ合わせつつ両国の友好を訴えたものは、「ソノ・エディトリアル(音の社説)」と題されている。それは言い換えれば、新しいメディア融合の中での社会批評の新たな可能性を求める試みともいえ、この「音の出る雑誌」が従来のレコードにも雑誌にも還元できない新しい「音の文化」の創出を目指していたことがうかがえよう。
「レコード会社」ではなく「出版社」。また、時代的な要素。これは「文化全体がある種の可塑性をもち、様々な交流や実験を可能にしていたこの時代だったからこそ成り立ちえた」。