AKH@宮城

『ハフィントン・ポスト』(『朝日新聞』)の記事;


2019年02月03日 12時40分 JST | 更新 2019年02月03日 12時40分 JST
ユネスコ無形文化遺産「米川の水かぶり」開かれる。登録後初めて
わら装束を身にまとった男衆が、奇声を発しながら家々の屋根に水をかけて回った

朝日新聞社提供

奇祭「米川の水かぶり」 無形文化遺産に登録後初開催

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に昨年登録された宮城県登米市の火伏せの奇祭「米川の水かぶり」*1が2日、登録後に初めて開かれた。

 「男鹿のナマハゲ」などと並ぶ「来訪神」の一つ。地元の男衆が裸にわら装束をまとい、顔にすすを塗って、火の神の使いの化身「水かぶり」になった。「ホーホー」と奇声をあげながら、手おけの水を家々の屋根にかけて回った。


 同市東和町米川の建築会社員千葉久志さん(70)は「過疎化が進む町だが、世界に注目されて観光客が来てくれたらうれしい」と笑顔で話した。火伏せのお守りとされる装束のわらを、今回も持って帰るつもりだという。(山本逸生)

朝日新聞デジタル 2019年02月02日 15時28分)
https://www.huffingtonpost.jp/2019/02/02/mizu-kaburi-unesco_a_23659780/

「ナマハゲ」*2とはちょっと違う感じがする。また、「来訪神」といっても、沖縄西表島の「アカマタ・クロマタ」*3とは性格を異にする感じがする。まあ、この記事は「奇祭」の故事来歴について全然説明不足だ。故事来歴がなければ、祭りというのはただの騒動にすぎない*4
河北新報』の記事;

<アングル宮城>神の化身、世界の宝 米川の水かぶり


 わら装束をまとった火の神の化身が家々に水を掛けて回る。2日あった宮城県登米市東和町の「米川の水かぶり」。防火を祈願するとともに、数え15歳の元服を迎えた男子を一人前の大人として地域の輪に迎え入れ、結束を確かめ合う行事でもある。
 参加資格は米川五日町地区の男性。他地区の者が入ると火難が起きるとされ、しきたりを守る。地区住民は約100世帯260人。過疎のまちの担い手不足は深刻で近年は他地域在住の地区出身者や小学生に対象を広げた。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に昨年登録された。「地域の小さな行事が世界の宝になった。今年は大勢の人に見てもらえて良かった」。水かぶり保存会の菅原淳一会長(62)は目を細めた。
登米支局・小島直広、写真部・安保孝広)
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201902/20190204_13023.html

成人儀礼としての意味がある。また、次にマークした宮城県の解説によると、「還暦」の者も関わっている。


宮城県文化財課「指定文化財重要無形民俗文化財|米川の水かぶり」https://www.pref.miyagi.jp/site/sitei/03yonekawa.html



水かぶりの一行が通りかかると町内の人々は、争って装束の藁を引き抜き屋根に載せる。こうすると火伏せになるとか、魔除けになるといわれている。米川では、初午の日以外に水かぶりをしてはならないとされ、また、水かぶりの一行が通り過ぎるまでは、色の付いたものを食べることが禁じられている。これを破ると火事が発生しやすくなると伝えられている。
食物タブー。ところで、「色の付いたもの」って何?


水かぶり宿「米川の水かぶりについて最も正統な伝承とご案内です。」https://blogs.yahoo.co.jp/mizukaburiyado/36641793.html


曰く、


 初午の早朝、代々水かぶり宿を務める菅原家に男達が集まり水かぶり行事の支度をする。米川の五日町の男が水かぶりの姿になり行事に参加する。
水かぶり宿の伝承は火伏せを行事の主意とする。付帯意味として厄払いと新たに地域集団に迎える成人儀礼通過儀礼の意味もある。参加者で厄年に当たる者は厄払いになる。還暦や厄年等の一人が梵天を掲げ水かぶり一団の先頭を務める。成人儀礼は、数え15歳前後の元服年齢の男が成人男性として、地域の祭りや行事や共同作業等に参加し地域を支える一員なる通過儀礼のひとつである。通過儀礼は、新たに地域に加わった者を祭りや行事を通して、地域集団の一員として迎える試練である。 
水かぶりの男達は、裸体の腰と肩にわらで作った「しめなわ」を三本巻き、「あたま」を頭から被り、「わっか(わ)」で押さえる。「あたま」の形は特に各自が工夫を凝らす。足に「わらじ」を履く。顔に火の神様の印であるかまどの煤(すみ、すす)を塗る。この水かぶり装束を身につけ男達は来訪神に化身する。
水かぶりの一団は水かぶり宿を出発後、法輪山大慈寺(永享元年・西暦1429年中山良用大和尚再興・奥州三十三観音第十四札所)境内の秋葉山大権現様に火伏せ祈願をする。次に、藤原秀衡公が 嘉応2年(西暦1170年)建立の諏訪森大慈寺跡に火伏せ祈願する。水かぶりの起源は定かではない。一説には、諏訪森大慈寺修業僧の行を水かぶりの起源とする。水かぶり宿の口伝では江戸時代中期既に行事が行われていた。水かぶりの一団は町に繰り出し、家々の前に用意された手桶の水を家に掛け火伏せする。人々は水かぶりが身に付けたしめなわ等からわらを抜き取り屋根等に上げて火伏せのお守りとする。
水かぶりの一団とは別に、手鐘を鳴らす墨染僧衣の火男(ひょっとこ)と天秤棒に手桶を担いだおかめが家々を訪れご祝儀を頂く。福をもたらす来訪神といわれ、火男は火の神様の仮のお姿であり、おかめはその相方である。この形態も古くから行われている。水かぶり行事後に行われる「かさごす」は神様と共に飲食しもてなす慰労の席である。
秋葉山大権現」。遠江国(現在の静岡県浜松市)の秋葉山を本山とする秋葉権現は近世以来、火伏せの神として広く信仰されているが、この「水かぶり」も秋葉信仰の一環ということだろうか。
また、「水かぶり宿」の「菅原家」。「菅原」というのは「遊佐」とともに、宮城県だ! という感じの苗字だけれど、その本流はこの辺りにあるのだろうか。


福原敏男「宮城県登米市「米川の水かぶり」小考」(『文化遺産の世界』34)https://www.isan-no-sekai.jp/feature/34_02


福島県宮城県に伝承されている他の水をかける儀礼(「水祝儀」など)との比較から、


行事名や来訪神役名が、現行の家や屋根への「水かけ、水かぶせ」という語ではなく、自らの「水かぶり」という民俗語彙であることが象徴するように、若者組における極寒期のイニシエーション的な身体苦行がもとであった。それは各地寺社での修正会結願における競争的な裸祭り・裸参り・寒中禊ぎにも通底するのではなかろうか。一方、蓑や被り物は信仰的には匿名性(神としての資格)を得ると同時に、機能的には身体を守る水除けのためとも考えられよう。
また、

民俗行事とは、さまざまな要素が複合して成り立っている事例が多く、それら行事の性格は多面的であることは言うまでもない。来訪神行事においても、来訪神役が訪問した家人から水をかけられる要素は多く、かけられた来訪神役には不吉な伝承もあるため、逃げまわる事例が多い。家人側にとっては冬季の火伏せというよりも、夏季の潤沢な用水確保のための予祝(類感呪術)と解釈される。
だとすると、「秋葉権現」というのは後から取ってつけた表層的な要素ということになるのだろうか。
ところで、「秋葉権現*5が何故「火伏せ」の神様なのかというということについての納得できる理屈はなかなか思いつかなかった。秋葉権現大己貴命大国主命)だという伝承と、秋葉山越後国から飛来してきた「三尺坊」という修験者*6と同一視する伝承があり、また秋葉権現火之迦具土神であるという伝承もあり、明治の神仏分離の際にカグツチが祭神として定められたのだという。カグツチは火の神。出生した際に、母イザナミの萬古を焼いて、死に至らしめた。「火伏せ」の力というのはやはりカグツチに由来すると考えるのがいちばん納得できる。但し、毒を以て毒を制すという発想。