「大正時代」(by 西山松之助)

西山松之助*1「大正時代の文化生活」『ゆりかもめ』(東京都生活文化局コミュニティ文化部)52、pp.4-7、1995


1995年には西山先生、まだご存命だったのね。


大正は十五年しかなかったが、この時代は、日清戦争日露戦争韓国併合というような富国強兵軍国日本の明治時代と、満州事変から終戦に至る昭和の戦争との二つの戦争時代にはさまれた時代で、戦争のない、自由で平和な、国際的にも日本が列強と肩を並べるような国にまで成長した時代であった。
もちろん戦争のない時代とはいえ、第一次大戦には参戦したが、それは名ばかりで、この西欧の大戦乱のため、日本の重工業はじめ軍需産業が急成長を遂げ、たいへん好景気時代となり、旧ドイツ領南洋諸島の統治を委任され、国際的に承認された日本の統治地域としては最も広い時代となった。
抽象的に大観すると大正時代は、こういう時代だが、これを具体的に見ると、明治時代よりもはるかに敏感に、しかも生々しく、国際的な情勢に日本国内の政治・経済・文化の全領域が大きな影響を受けるようになったのが、大正時代の大きな特色である。また、国内的には、明治維新後、西欧一辺倒に凝り固まって、前代江戸文化を軽蔑し、否定し、有害視するほどであった明治の文化観に、これを反省し、江戸を正視しようとする動きが活発化するようになった。(p.5)
「江戸文化」復権の例としての九鬼周造*2永井荷風*3

明治の終わり頃、日本からイギリスやフランスへ勉強に出かけた人たちによって、例えば永井荷風九鬼周造のような人は、西欧のジャポニズムを見、北斎の立派な本が出版されていることなどを知り、江戸文化のすばらしさに開眼する。
九鬼周造の『「いき」の構造』という本は、”いき”という江戸独特の美意識を、主として十九世紀前半期の江戸の花街において洗いあげられてきたものと考え、江戸音曲や文芸作品、吉原遊里や辰巳芸者の生態・風俗・行動様式などを精細緻密に分析して、みごとにそれを論証した。この九鬼周造は、このすばらしい『いきの構造』*4を大正十年から昭和四年まで、パリに留学しているうちの大正十五年にパリで原稿を書き終わり、帰国後の昭和五年、雑誌『思想』の一月号と二月月号に連載し、同年十一月に岩波書店から出版した。
永井荷風は帰国後、慶応大学教授として『三田文学』を創刊するが、彼は江戸文化に目覚め、江戸音曲としての歌沢・小唄・端唄・清元などにまで深い関心を示し、高い評価をした芸術論は有名である。(pp.5-6)
「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

さらに、柳田国男柳宗悦*5バーナード・リーチ浜田庄司河井寛次郎
ところで、「自由で平和な」日本というのはあくまでも内地限定であって、例えば朝鮮半島では三一運動とそれに対する血の弾圧が起こったりしていたわけだ。