真白/白たへ

時間論 他二篇 (岩波文庫)

時間論 他二篇 (岩波文庫)

九鬼周造「文学の形而上学」(in 小浜善信編『時間論』*1、pp.115-172)に、『万葉集』から山部赤人

田児の浦ゆ打出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける
が引用されている(p.140)。一瞬、「白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ」じゃなかったっけと思い、その瞬間、私の憶えていたのは、『新古今集*2に収録されたヴァージョンだったのだということに気づいた。

田子の浦にうち出でてみれば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ
また、直接、『新古今集』を読んで憶えたのではなく、多分『百人一首*3を通じて憶えていたのだと思う。藤原定家がチョイスしたのは新古今ヴァージョンの方だったので*4
新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

新訂 新古今和歌集 (岩波文庫)

百人一首 (新潮文庫 あ 6-1)

百人一首 (新潮文庫 あ 6-1)

さて、小浜氏の「文学の形而上学」「注解」によると、この歌は「雄大、素朴を特徴とする男性的な歌風(いわゆる「益荒男振り」の『万葉集』と、繊細、幽玄を特徴とする女性的な歌風(いわゆる「手弱女振り」)の『新古今和歌集』における歌風の違いを考えるのに格好の一首と言われる」のだという(p.312)。
「真白」と「白たへ」のほかに、『万葉』ヴァージョンと『新古今』ヴァージョンの違いは、「ゆ」か「に」かということ。「ゆ」という助詞を見ると、ああ『万葉』なんだなと思ってしまう。末尾が過去の出来事の想起或いは過去の出来事の結果の(現在への)残存を意味する「ける」(けり)か、それとも現在進行形的な「つつ」か。また、「田児の浦」か「田子の浦」か*5