九鬼周造『時間論』

時間論 他二篇 (岩波文庫)

時間論 他二篇 (岩波文庫)

九鬼周造『時間論 他二編』(小浜善信編)*1を一昨日読了。


凡例


時間論
I 時間の観念と東洋における時間の反復
II 日本芸術における「無限」の表現
時間の問題 ベルクソンハイデッガー
文学の形而上学


注解(小浜善信)


解説 永遠回帰という思想――九鬼周造の時間論(小浜善信)

2本の講演が合わさった『時間論』の原文は仏蘭西語で、小浜氏による新訳。「文学の形而上学」は1941年の単行本『文芸論』に収録されていたもの。
生命と過剰

生命と過剰

さて、先々週に丸山圭三郎*2『生命と過剰』(河出書房新社、1987)を読了していた。

序章 神々の死
第一章 実体論批判
第二章 存在と言語
第三章 言語=意識の重層性
第四章 唯言論批判
第五章 人間存在と二重分節構造
第六章 無意識という名のコトバ
第七章 パラグラティスム
第八章 フェティシズムと〈永遠回帰


あとがき

最初に否定された〈リアル〉を再度肯定し直すための試行錯誤。また、〈ソシュールからニーチェへ〉というスローガンに粗雑にまとめることもできるかも知れない。「あとがき」に曰く、

(前略)〈フェティシズム〉と〈永遠回帰〉という内的体験を思想化する試みを通して、はからずも私の中でソシュールニーチェがディア・ロゴス的対話を交わすことになったようである。生年こそ一八四四年(ニーチェ)と一八五七年(ソシュール)という世代差があるこの二人ではあるが、その生涯と思想のドラマの激しさにおいて何と似かよっていることであろうか。
幼少のころから詩と音楽を愛した早熟な二人は、弱冠二十数歳にしてともに外国で大学教師の職を与えられ(バーゼル大学とパリ高等研究院)、ついで当時の硬直したアカデミズムに反抗し、晩年の狂気の時代を経て早過ぎた死を迎える(いずれも五十五歳でこの世を去った)。ニーチェプラトンからカントに至る形而上学を攻撃し、のちにフロイトとともに非合理的にして豊饒な身体と無意識の世界の根柢にある生の力を詩ったとすれば、ソシュールアナグラムによって、同じように意識の深層における〈コードなき差異〉の戯れを現出せしめる反合目的で多様な生の動きを示唆した。ニーチェの哲学が西欧においてはじめて現れた反‐哲学であった如く、ソシュール言語哲学は、アリストテレスストア学派以来の記号学批判であり、西欧知の伝統である〈現前の形而上学〉の解体であったと言えるであろう。(pp.276-277)