「世界への愛」(メモ)

森一郎「世代をつなぐもの――東京女子大学旧体育館解体問題によせて」『UP』439、pp.33-38、2009


森氏は「東京女子大学旧体育館」保存運動にコミットする。


なぜ旧体問題にこだわるのか。いろいろ理由があって言い尽くせないが、一つにはそれが、「世代」という問題にかかわるからである。ひいては、私の見るところ、アーレントの言う「世界への愛」という巨大なテーマの、一つの系をなすからである。
人間はこの世に生まれ、生き、老い、そして死んでこの世を去ってゆく。そういう生まれ出づる死すべき者どもの去来の場が、世界である。この世界は、一人のものではなく、そこに住む多数の同時代人によって共有される。そればきありではない。時代を異にする無数の人びとによって、連綿と受け継がれてゆく。同時的にも継起的にも「ともに分かたれる」という共同性によって成り立つのが、世界なのである。共同世界のこの二重性は、同時代と世代交代という、世代なるものの二面性に対応している。相前後する世代間の、それどころか相隔たった世代間の、断絶をはらんだ連続性が成り立つのは、諸世代が落ち合う場としての共同世界があるからなのである。幾世代も隔絶した人びとが「協働」したり「連帯」したりすることが可能となるのも、彼らがおのおのの時空的差異をはらみつつ、同じ一つの世界を共有しているからこそである。世界は、複数の世代にまたがって存続する。
世界は、そこに住む人どうしを、そして異なる時代に生きる人どうしを、結び付けさせつつ分け隔てさせる。この「させる」を、あまり抽象的――難しい言葉で言えば「超越論的」――に考える必要はない。世界は、宙に浮いたどこかにあるのではなく、大地にどっしり根ざしており、実質的には、もろもろの存在者からなる。たとえば、埃にまみれた本やひっそりたたずむ古い建物。そこにこそ、世代をつなぐ共同性の基礎はある。(pp.35-36)

(前略)精神的なものが世代にまたがって脈々と受け継がれるには、その存続を実質的に支え、どっしりと存在し続ける、モノがなければならない。創設の大志は、かの父祖(母祖?)たちが語り、書き残したことを伝える文書にやどるのであり、始まり・原理(principle)を体現すべく建立された築造物にともるのである。もとより書物は、後代の解釈者によって我がものとされるとき、異化を蒙りつつ「脱構築」されるだろうし、建物だって、老朽化が進めば修復され、別の使われ方をすることになろう。そういう変性や隔たりを許容しながらも、馴染みある近しい形をとってしぶとく存在し続けるのが「物」なのである。大正時代に創られた女子高等教育の府が「品格或る社会性の涵養」をモットーにしてきたのだとすれば、その建学の精神は、設計当初から社交館という機能を付与され、歴代の学生たちに社交の場として使われ続けてきた体育館にこそ、生き生きと働いているはずである。語の正当な意味における本質(essence, Wesen)を集約し守蔵しているそのような物を、荒廃に任せるのみならず、巨大新築事業と引き替えに破壊し去ろうとする学校法人は、少なく見積もっても、建学の精神を忘れていると言わざるをえない。(p.36)

じっさいは法隆寺も、そして姫路城も、往時は見る影なく朽ち果て、取り壊される運命に曝されていた。放っておけば腐朽していくのが、死すべき者どもの製作物なのである。だが、そのはかなさに逆らうべくわれわれの手で営々と築かれてきたのが世界なのであり、そのなかで風雪に耐えるよう手入れされて使われ続け、ひいては世界を飾るのが、物なのである。形ある物は、限りある人間の生を超えて、世界にとどまり続ける。私の生まれる以前から、この世界は物とともに有ったし、私の死んだあとも、この世界は物とともに有るだろう。このような世界概念を、事物の実体性を無批判的に定立する独断論にすぎぬと断ずる向きもあろう。近代哲学のデカルト主義的前提からすれば、なるほどそう見えるにちがいない。だが、ここで言う世界の永続性とは、超絶した形而上学的概念などではない。この世に生まれこの世から去ってゆく者たちが、各人の限りある生を超えて「共通のもの」を受け渡してゆく、という暗々裡の共同事業を言い当てる、一個の世俗の言葉なのである。そこには、物を大切にするという意味での「愛」がある。そればかりではない。自分たちがひょっこりそこに生まれ、たまさかめぐり合った世界に対する、限りない慈しみの念がある。自己肯定という意味での自愛と別物でない、その宏き心を、「世界への愛」と呼んでもよかろう。(p.37)
「世界への愛」については、やはりハンナおばさんの『人間の条件』をマークしておかなければならないだろうし、またここでシュッツの「世界時間」の超越の議論(The Structures of the Life-World)も想起すべきか。
The Human Condition

The Human Condition

Structures of the Life-World (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy)

Structures of the Life-World (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy)

日本に帰ったとき、森一郎氏の『死と誕生 ハイデガー九鬼周造アーレント』(東京大学出版会)という本を書店でちらっと見たのだが、アレント九鬼周造が並列されたサブタイトルがちょっと奇異に思えたのと、6000円超の値段から、購入を取り敢えずパスしたのだが、ちょっと後悔している。
また、森氏曰く、

大学教師は多忙を言い訳にできない。そもそもscholarとは「ヒマ人」の謂いだからだ。忙しい人(ビジネスマン)を自任するとは、学者を廃業したに等しい。(p.34)