1408年の南蛮人

網野善彦*1『中世荘園の諸相』から。
若狭国小浜*2について、


(前略)そこには。一四〇八(応永十五)年には南蛮船も着岸している。亜烈進(アラジンか?)という帝王よりの進物たる、象、山馬、孔雀、鸚鵡等、異国の鳥獣が人の目を驚かせたが、この船は翌年までいて、船を新造して大陸に向かう。南蛮船はまた、一四一二(応永十九)年にも二艘着岸。「宿は問丸本阿弥」といわれている。(後略)(p.345)
と書かれている。
ここでいう「南蛮」というのはラテン系ヨーロッパ人なのだろうか。それとも、原義に近い東南亜細亜系或いは華南(福建や広東)の人なのだろうか? 網野は「亜烈進」について「アラジンか?」という推測を入れているけれど、アラブ系の可能性ありということなのだろうか? 因みに、『千夜一夜物語』の「アラジン」は現代中国語では、


阿拉丁


と音訳されるのが普通だと思う。