「常民」を巡って抜き書き

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

網野善彦『歴史を考えるヒント』からメモ。
「学問上の用語として普通の一般人を指す」言葉として、柳田國男渋沢敬三は「常民」を用いた(p.60)。


(略)「常民」の語が研究所の名称*1になった頃には、この語はすでに柳田さんが著作の中で使っておられました。柳田さんはこの言葉を最初に使ったのは渋沢さんだと言っていますが、柳田さんと渋沢さんとでは、「常民」に込めた意味が明らかに違います。柳田さんは、歴史学が世の中の変化を追究する学問なのに対して、たとえ政治の変動などによって時代が変わろうとも、簡単には変化しない普通の人々の生活の問題を追究することを、民俗学の使命と考えておられました。そうした考え方に「常」の字が適合したのでしょう、その民俗学のキーワードとして「常民」の語を使われました。しかし、その中には職人や漁民、さらには定住せずに各地を遍歴する人々などは含まれていなかったと考えてよいと思います。このように、柳田さんの「常民」には、「農民」という意味が濃厚に込められていたと言えると思うのです。
これに対して渋沢さんは、はっきりと「常民」は「コモンピープル」の訳であると言っておられます。まさしく「普通の人々」という意味であり、その中には職人や商人が含まれており、(略)被差別民も、渋沢さんははっきりとは言っておられませんが、含めておられたと思います。そのように、同じ民俗学の世界でも「常民」の語に込める意味合いには、学者の立場によって差異は生じていますが、この言葉が民俗学の用語として定着していることは間違いありません。(pp.61-62)
「常民」の起源を巡って;

ただ、実はこの言葉自体は元来、日本語ではないと私は思います。辞書や様々な文献で調べてみましたが、「常民」は日本語の語彙には存在せず、元をたどると朝鮮半島において普通の人々を意味する言葉でした。特権的官僚の階級である両班あるいは被差別民以外の普通の人々を「常民」*2と呼んでいます。朝鮮史の専門家に聞きますと、それは両班から見ると低い身分ですが、普通の人を指す言葉として用いられてきたと言われています。
柳田さんも渋沢さんも、この朝鮮半島の言葉を積極的に使ったのではないかと思われます。その理由は(略)人民にせよ国民にせよあるいは庶民にせよ、”手垢”にまみれてきた感があり、それぞれにいろいろなとらえ方がされているために、学問上の用語として使うことに抵抗を感じたからであろうと推測できます。当時、朝鮮半島は日本の植民地になっていましたが、明治前半までの「日本人」の中ではほとんど使われていない言葉で、最もよく普通の人を表現しうる語として、柳田さん、渋沢さんが「常民」を選ばれたことは、ほぼ間違いないと私は思っています。(pp.62-63)
先ず英語があって、朝鮮語を用いてそれを和訳したということ?
渋沢敬三に関しては、佐野眞一『旅する巨人 宮本常一渋沢敬三*3を再度マークしておく。
旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)

*1:日本常民文化研究所」。

*2:「サンミン」というルビ。

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120429/1335716623