「アルジャーノン」と「キリスト」

池澤夏樹*1「俗物社会に反発 光の先に再度の洗礼」『毎日新聞』2022年1月14日


リチャード・パワーズ『惑う星』の書評。


一人で九歳の息子を育てている男シーオがいる。妻は二年ほど前に亡くなった。
息子ロビンは頭がいいが情緒不安定で、学校では協調性がなく、時々荒れる。
シーオは科学者、惑星地学が専門で、物理的条件が地球とまるで異なる星をいくつも装幀している。宇宙のどこかにいる知的生物を見つける大きなプロジェクトにも関わっている。
自分の運転する車の事故で死んだ妻のアリッサは動物たちの絶滅を食い止めようという運動熱心な活動家だった。夫と息子は今も彼女の存在感にすっぽりと包まれている。
教室でのロビンのふるまいに病名が付けられる。いわくアスペルガー強迫性障害、注意欠陥多動障害、向精神薬を投与すべきだと。
しかし亡き妻は言っていたのだ、「完璧な人などいない。でもね、私たちはみんな、完璧からの外れ方がすばらしいの」と。
ロビンの問題を薬物などに頼ることなく解決するという話が来る。アリッサとシーオの友人である脳科学の専門家が行っているデクネフという実験で、脳の活動をfMRI(機能的磁気共鳴映像法)で見ながらその結果を本人にフィードバックすることで感情をコントロールする能力を養うというもの。かつてアリッサとシーオは請われて治験に応じた。
この方法はロビンに対して目覚ましい効果を与えた。性格が穏やかになるばかりか、絵の才能が開花して、もっぱら動植物の図鑑的な絵(サイエンス・イラストレーション)を描くのだが、これがうまい。客観的であると同時に対象への共感が表れている。
さらにストーリーの紹介が続く。
そして、池澤氏のコメンタリー;

この小説の背後にはSFの古典、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を*2がある。
それと同時に、これは母と子の二代を重ねてのキリストの話ではないかとも思うのだ。強烈なメッセージと俗物社会への反発、その結果の受難。冷たい水の中での受洗のようなエンディング。父はそれを語る使徒の位置にある。
ひょっとしてプロテスタントの国ならではの思考の枠が作者の無意識のうちに応用されたのか。
科学用語が過剰で、それでいて叙情的な文体を訳者*3はよく日本語に移している。とりわけタイトルの「惑う星」は「困惑」という原題よりずっといい。