日本での自由は、政党名に悪用されていたりしてすでにあるものと思われがちだが、じつは「自由がない」という自覚から生まれる。自由であろうとして行為することこそ「自由」なのだ。60年代「短い春」に一学生が体験していたそのことを、いまあらためて言う。★#週明けの強行採決に反対します https://t.co/HRU5Z3UHiX
— 巖谷國士 (@papi188920) 2020年5月16日
自由は与えられたものではなく、自由であろうとする行為それ自体にあるということで、60年代のデモやアートの現場にはその感覚があった。ブルトンが『ナジャ』で言うように、「自由とは永遠につづく解放」「ある程度は長いけれどもすばらしい歩みの連続」だとすると、涙よりも希望のはじまりだ。★ https://t.co/a9P9XGGw5g
— 巖谷國士 (@papi188920) 2020年5月17日
60年代の流れは多様なので一口にいえないが、文化革命があったとするとまず「サド裁判」から。被告の過激な版元・石井恭二と澁澤龍彦に、土方巽も唐十郎も中西夏之も連動。「千円札裁判」も続く。近くにいたのは既成文壇人の三島よりも、年長の瀧口修造か。浅川マキやシモンなどへの影響もあった。★ https://t.co/DnC0OjfNJp
— 巖谷國士 (@papi188920) 2020年4月26日
よく若い人から、60年代の自由が羨ましいとか言われるが、それは違う。高度成長と東京五輪の時代に自由などなかった。むしろ不自由を自覚して自由であろうとしたからこそ、新しい言語表現やアートが生まれた。いまの人は自由だと思いこまされて不自由になっている。それを自覚して行為する自由を。★ https://t.co/ydOAMSGFAH
— 巖谷國士 (@papi188920) 2020年5月17日
- 作者:アンドレ・ブルトン
- 発売日: 2003/07/17
- メディア: 文庫
- 作者:アンドレ ブルトン
- メディア: 新書
日本語の「自由」という言葉と、英語の「Freedom」「Liberty」とは、全く別の意味の言葉だと感じている。
— Curie Ozawa (@CurieOzawa) 2020年5月17日
『無縁・公界・楽』*2で網野善彦も論じていたように、日本語においてそもそも「自由」はネガティヴな意味しか持っておらず、だからこそ彼はポジティヴな意味の言葉としての「無縁」や「楽」を発掘したわけだ。
- 作者:網野 善彦
- 発売日: 1987/05/01
- メディア: 単行本
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/22/115917 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/05/13/093129
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090619/1245441165 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20111223/1324606625 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140724/1406181296 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171222/1513915420