保立道久on奈良時代1

保立道久「奈良時代的王権論」(徐洪興、小島毅、陶徳民、呉震(主編)『東亜的王権與政治思想――儒学文化研究的回顧與展望』*1復旦大学出版社、2009、pp.27-36)


このテクストは訳者の表記がないので、保立氏自身による中国語の文章ということなのだろう。
先ず、自分の専攻は「平安時代から鎌倉時代」だけれど、敢えて「奈良時代」について語るという(p.27)。
保立氏は自著『黄金国家』(2004)の中で、中国史家の内藤湖南宮崎市定谷川道雄などの「欧亜整体的“中世”(作為世界史範疇的中世)始於西方的羅馬帝国、東方的漢帝国崩潰的公元3世紀至4世紀的看法」に賛成しているという(ibid.)。さらに、「(前略)我認為、至少自我意識到“奈良時代=古代”這一模式属於極為簡単化的一国史的想法、其中缺乏東亜史層上的視角」(pp.27-28)。中世は西暦3〜4世紀が始まるので、日本には「古代」という時代は存在しなかったことになる*2(p.28)。その時代の日本社会をどう特徴づけるのか。保立氏は「酋長制社会」という概念を提案する(ibid.)。


(前略)我們也可認為、世界史上的“中世”這一時代、恰是一個将欧亜大陸周辺的酋長制社会最終領上国家與文明之途的時代、日本或許便是一個典型個案。也可以説、経過這一進程、才開辟出了“東亜”世界這一跨地域性世界。(p.29)
また、吉田孝(『律令国家と古代の社会』)が提起した「双系制社会論」(ibid.)。双系制とは「父系と母系の双方が社会関係において対等な地位にあること」。「双系制社会論」の成果としての義江明子『作られた卑弥呼』(ちくま新書、2005)。日本において「基於血縁原理的王権継承法」は5世紀頃に現れ、6世紀の「欽明」朝に確立した。「大兄制」は「同母集団中的長子(大兄)」に王権継承資格を付与する(ibid.)。「王権継承法」に「双系制原理」が生きていた例として挙げられるのが継体天皇継体天皇応神天皇の5代目の子孫とされるが、父系で辿るからややこしくなるのであって、母系で辿れば皇統との関係は明白なものになる。継体の妻の母は雄略天皇の娘の「春日大娘」。つまり、雄略天皇の孫ということになる(ibid.)。このことから、「我們絶不能将女酋長、女王為例外或臨時性現象」という(p.30)。

根本而言、従6世紀末的推古女帝至8世紀後半期的称徳女帝、其間約200年、女性天皇有推古、皇極(斉明)、持統、元明、元正、孝謙(称徳)共六人八大、而男性天皇則為舒明、孝徳、天智、天武、文武、聖武淳仁七人。這足以証明、即使在日本最終成立国家的階段、此前的酋長制社会仍具有多麼強烈的作用。(ibid.)
かくして、「奈良時代」は「双系制」から「父系制」への過渡期として語られることになる。
(続く)


保立氏については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080806/1217988192でちょこっと『平安王朝』に言及したことがある。

平安王朝 (岩波新書)

平安王朝 (岩波新書)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090919/1253330016

*2:保立氏は、日本に「封建社会」といえる時代は存在しなかったということも主張しているらしい。氏が提示しているのは、「網野善彦氏の無縁論と社会構成史的研究」(『中世史研究』2007年5月号)という論文。また、『歴史学をみつめ直す――封建制概念の放棄』(2004)という著書あり。