開明/独自/自尊(メモ)

末木文美士*1『日本の近代思想を読みなおす2 日本』から。
『「日本人論」再考』において、船曳建夫*2は「日本人論の出発を戦国時代まで遡るものとして、日本に対する見方の三つのモデルを提示する。信長の「国際日本」、秀吉の「大日本」、家康の「小日本」である」(p.13)。


船曳建夫が挙げた三つの日本観で言えば、「国際日本」は積極的に高度な文明を採り入れて、その水準に達しようとする態度、「小日本」は自分の分に応じて自足する態度、「大日本」は自分こそ偉いんだと他国を蔑視して侵略する態度である。これは国家としての態度の取り方であるが、ここではもう少し文化面を中心として、それぞれ開明主義、独自主義、自尊主義と呼ぶことにする。外に普遍的原理があるとして、それに対して、三つの立場はそれぞれ次のように特徴づけることができる。

開明主義――外なる普遍的原理を自分に合致させようよする態度
独自主義――外なる普遍的原理を摂取しつつも、吸収されない自己の独自性を強調する態度
自尊主義――外なる普遍的原理を否定して、自分の方に普遍的原理があるとする態度

(前略)きちんと三つの態度が分かれるわけではなく、実際は複合的であったり、はっきり分類できない中間的な場合も多い。程度の問題であろう。完全な開明主義を取れば、外の原理(中国や欧米)に一致することが目標となる。中国の聖人を理想化する大給徂徠の立場や、近代の鹿鳴館主義などがそれに近い。逆に自尊主義の立場を徹底すると、他者を排撃したり、侵略したりすることになる。幕末の尊王攘夷や昭和前期の国家主義などに見られる。しかし、多くの場合、それほど極端にならず、独自主義的な立場の枠の中で、開明主義に偏るか、自尊主義に偏るか、という程度問題になる。船曳は、近代においては、「大日本」は福沢諭吉、「国際日本」は新渡戸稲造、「小日本」は夏目漱石によって代表させているが、それにはちょっと首を傾げるところがある。(pp.15-16)

この本は、


ステキな日本/ダメな日本
外から/外へ
天皇愛憎
思索と反省


というテーマに沿って、近代における日本論のテクスト16点の抜粋と解説を提示している。近代日本論(日本人論)のアンソロジー。収録された日本論の殆どは日本人によるものだが、「外から/外へ」においては外国人による3点が提示されている。イザベラ・バード『日本奥地紀行』、戴季陶『日本論』*3ルース・ベネディクト菊と刀*4