現在の「網野善彦」(メモ)

桜井英治、清水克行「中世史の魅力と可能性」『図書』784、2014、pp.12-19


少しメモ。


清水 安倍首相が、日本史を高校でも必修化すべきだ、日本人としてのアイデンティティ、歴史、文化に対する教養を備えるためにも日本史をもっと学習するべきだと言っていますね*1。ところが、中世史からはそこで期待されているようなものが生まれてこないんですよね。むしろ日本人のアイデンティティを揺るがすような、近代とか国家とか自明視してきたものを覆すのが中世史ですから。今こういう時代だからこそ、むしろ中世史って大事じゃないかと思うし、非近代的な要素を拾い出してくる作業は、これからもっと必要になる気がしています。
桜井 中世って今の政治家からすると日本史の邪魔な部分なんでしょうね。
清水 道徳でも過去の歴史上の人物を教えろと言いますが、そういう中に一人も中世の人物が入っていないのは痛快です。時の政府に都合のいいキャラクターがいないんですね、二宮金次郎とか吉田松陰みたいな。歴代の室町将軍なんて教壇で教えられないぐらい近代的な規範からはみ出ている人たちですから。そのうち足利尊氏は教えるなとかいう時代が来るかもしれない*2。(pp.16-17)

清水 それにしても、今も網野善彦さん*3がよく読まれていますね。今年でちょうど亡くなって一〇年になるのですが。実はすごくアナーキーな研究者じゃないですか。中世史研究者の中でも最も尖鋭ですよね。そういう網野さん*4の本が一般読者に今も読まれているってすごいことだと思います。ただ、みんな網野さんの毒に気づいていない。サラリーマンが読むべき本、などと言われていますからね*5
桜井 だとすれば、中世史が学校で教えられ、そして網野さんがちまたで読まれている限り、日本にもまだまだ救いはあるということになりますか。
清水 ゼミで学生たちと網野さんの『無縁・公界・楽』を久しぶりに読んでみたんですが、彼ら、やっぱりすごく面白いって言うんです。ところが読み進めていくうちに、「網野さんが言っている自由って本当に自由なんですか?」って言い出して、人を殺しても何をしてもアジールに逃げ込んだらセーフだとか、借金取りも来ないって言うけど、この後彼らは幸せなんでしょうか? 強い戦国大名の下につながっていた方がいいのでは? と。今の学生たちはむしろ管理される方が幸せなんじゃないかと思っているみたいです。網野さんの自由というのは、管理社会からの逃走じゃないですか。それはやっぱり八〇年代的であって、今、就職を控えた四年生なんかはフリーであることを逆に不安定と感じるみたいです。
桜井 だけどね、やっぱり非正規雇用とかの問題を見ると、別な形のアジールとか無縁とか、かつてとは違うリアリティを帯びはじめているかもしれませんね。無縁社会*6とも言われているぐらいで。今後、日本自体がより厳しい社会になっていくと、網野さんが全く別の文脈で読まれる可能性があるでしょうね。(pp.17-18)
無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社選書)

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社選書)