「徴農」そのほか

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徴農」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061007/1160239677とかhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070902/1188757550でも言及したが。
そういえば、今年は中国の「上山下郷」40周年で、それを記念して?雑誌『書城』4月号には、程亜林「一九六八:四十年前的知青生活」(pp.27-32)という文章が掲載されている。
ところで、「輸入食料品の値上がりから食料自給率の低下が問題になっているが、この対策として毛沢東がやったような下放政策を実施せよと極左が主張しているのを最近見たことがある」と。本当なの? 
さて、上のエントリーに、


なかなか良いところに目をつけられましたね。実を言うと、極右と極左の主張はほぼ同じなのです。違いがあるとすれば、「天皇制を認めるか認めないか」程度です。ですから、左翼活動家が右翼に転向したりする例は珍しくありません。
 彼らの共通点はの一つは「農本主義」です。商業よりも農業を上位に起き、絶対視する思想で、まあ、江戸時代の経済政策ですな。しかし近代国家は全て、農業よりも製造業・サービス業が主体ですので、現代では到底通用しない主義主張です。確かに、農業は必要なんですが、それが全部じゃないんですよ。近代国家にとっては、農業は「経済の一部」に過ぎません。
 要するに、極右や極左というのは、「近代社会に適応できない脱落組」であるに過ぎません。日本をでっかいムラ程度にしか考えてないんですよ。そんなに農業が素晴らしいのなら、人口の90%が農民というアフリカ諸国にでも移住すりゃいいんです。あれが理想なんですかね。実際には、農本主義はアフリカを破滅させた主犯の一人と目されていまして、これのせいで製造業等の近代産業は全く発展せず、人口だけがやたらと増えて餓死者が続出するという事態になったんですがね。
というコメントあり。これについてコメントすると、「農本主義」というのは正統的なマルクス主義からすれば異端であり、ここからすればオーソドックスな左翼は工業、それも重工業中心主義者であるということはいえるだろう(鉄は国家也!)。「農本主義」と共通するところは商業やサーヴィス業を軽視或いは蔑視するところで、これは反ユダヤ主義とも関連するのだが、西洋思想においてはプラトンにも遡る根深い問題でもある*1。これについては、取敢えず故今村仁司*2の『排除の構造』とかを参照することを求めたいが、それはともかくとして、この商業やサーヴィス業を軽視或いは蔑視によって、オーソドックスな左翼が消費社会的変容や情報化といったことに上手く適応できなかったということはあるだろう。また、現代人の多くが共有する「農民」像自体が「農本主義」その他の影響の下で構築されたものであることは、既に故網野善彦氏などが指摘している通りであろう。「農民」或いは「農業」へのいわれなき賛美(浪漫化)もいわれなき蔑視も同根のものなのである。「農本主義」もその反対の進歩主義も〈近代〉という地平を無反省的に前提としており、それにこそ批判的な眼差しが向けられなければならない。勿論、上のコメントを寄せた人も同様である。
排除の構造―力の一般経済序説 (ちくま学芸文庫)

排除の構造―力の一般経済序説 (ちくま学芸文庫)

因みに、「農本主義はアフリカを破滅させた主犯の一人と目されていまして、これのせいで製造業等の近代産業は全く発展せず、人口だけがやたらと増えて餓死者が続出するという事態になったんですがね」ということに関しては、世界システム(グローバルな分業体制)における〈低開発の開発〉という事態を無視しているのではないかということは指摘しておきたい。

唐突ではあるが、シェリル・クロウDetoursを買う。

Detours

Detours

*1:さらに言えば、都市的なものに対する敵意も。

*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070510/1178806929