「功利主義」(メモ)

金田耕一「リベラリズムの展開」*1 in 川崎修、杉田敦編『現代政治理論 新版』、pp.47-74


ジェレミーベンサム*2の「功利主義」についてメモ。
功利主義」登場の背景。


ところで名誉革命(1688年)によって生み出された議会政治は、革命が大ブルジョワと地主層の妥協の産物であったことを反映して、特権階級が支配権力を実質的に独占するという性質をもっていた。これに対して18世紀後半にもなると、政治的・社会的改革を求める運動が新興ブルジョワジー層を中心にして広がる。具体的には選挙権の拡大による議会改革、大ブルジョワと地主層に有利な保護主義的経済政策の撤廃と自由競争に基づく市場原理の導入の要求である。この改革を理論的に基礎づけるだけでなく、その具体的な改革プログラムを実行したのが、J. ベンサムに率いられた「哲学的急進派」、あるいはベンサム主義者とよばれる人々であった。(pp.51-52)
ベンサムジョン・ロック的な「自然法」(「自然権」)を「形而上学的原理」として否定し、「経験的原理」としての「功利の原理」(principle of utility)を掲げる。

ベンサムによれば、苦痛を避けながら快楽を増大させようとするのが人間の行動原理である。したがって、快楽(幸福)を増大するものは善であり、苦痛は悪である。「功利の原理」とは、人間が快楽と苦痛によって支配されていることを前提として、行為の判断基準を功利性に、つまり幸福をより増大させる、あるいは苦痛を減少させることにおくものである。この幸福の内容は、あくまでも個人の判断に任されている。人は自己の幸福の唯一かつ最良の判定者だからである。したがって、それぞれの幸福の優劣を判定できるような客観的基準はない。この意味では、功利主義個人主義の哲学である。
しかし、ベンサムはこの個人主義的な原理を社会全体に適用する。社会は、それ自体として存在する一つの実体ではなく、多くの個人から構成された一つフィクションにすぎない。したがって、社会の幸福とは、社会を構成する諸個人の幸福の総和にほかならない。功利主義からすれば、より多数の人びとの幸福が最大になるように配慮することで社会全体の幸福の最大化を図ること、すなわち「最大多数の最大幸福」を実現することこそが統治の目的である。ロックにとって自然権の保障が正義の原理であったとすれば、いまや功利の橙化こそが正義の原理となったのである(略)
(略)ロックが、市民の原初的同意に基づく統治によってリベラリズムを基礎づけたとすれば、ベンサムは、多数者の同意に基づく統治によってリベラリズムを基礎づける。功利の原理を通じた多数者の満足、つまり幸福の実現こそが正義であるというデモクラシーの理念がリベラリズムに持ち込まれたのである。(pp.52-53)
「自由放任」と「国家による社会介入」を巡って。

(前略)スミス*3の信奉者であったベンサムは、国家が市場の自由競争へ介入することに強く反対し、自由放任と自由貿易を主張した。各人が事故の幸福の最良の判定者であるとすれば、各人が自由に幸福を追求することによっておのずと最大幸福が実現される。政府の保護干渉はできるかぎり排除されるべきであって、政府には相互に衝突する各人の利益追求活動を調整するというきわめて消極的な役割しか与えられていない。
しかし、自由競争によって生じる弊害については、ベンサムとスミスの見解は異なってい折る。スミスは「自然的自由の秩序」のもとでは「見えざる手」の自然な調整作用を通じて問題は解決されると考えていた*4。しかしベンサムには、そのような自然的解決は期待できなかった。各人が理性的に行為するかぎりは、利己的に満足を追求したとしても全体の幸福が導かれる。しかし、すべての者が理性的ではないし正しく行為するわけではない。現実には、個人の利益追求はしばしば全体の利益を損なう。だとすれば、自由な競争が「最大多数の橙幸福」へと導かれる要に政府が介入しなければならない場合もある。スミスのように諸利益の自然的な一致に期待するのではなく、人為的に一致させることが必要となるのである。
したがって国家は、私益追求を公益実現に結びつけうるような法を制定し、社会全体の利益を損なう行為に対しては「制裁」として刑罰を科すことができる。刑罰が苦痛を与えるものである以上、それ自体は悪であるが、より大きな善を実現するために必要な悪である。このようにして、ベンサムは「必要悪」としての国家像を提示する。(pp.53-54)
ここで、ベンサムは「社会を構成する諸個人」の「総和」を超えた「社会全体」、「私益」の「総和」を超えた「公益」を密輸的に前提にしていないか?

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/10/19/221216

*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061204/1165208511 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061207/1165500508 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090721/1248151776 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091120/1258741355 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110610/1307724330 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120303/1330781724

*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070502/1178032169 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080605/1212640212 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080808/1218179991 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080822/1219374573 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080926/1222432462 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081226/1230296508 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090616/1245114543 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090626/1245983724 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090721/1248151776 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091127/1259318413 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091214/1260821177 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100816/1281982706 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20111002/1317520950 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120209/1328800795 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130515/1368577936 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151221/1450670703 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151230/1451499610

*4:国富論』第四篇。