承前*1
柄谷行人『世界共和国へ』から。
- 作者: 柄谷行人
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/04/20
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曰く、
また、柄谷氏はカントを承けたコールリッジによる「空想(fancy)」と「想像力(imagination)」の区別に言及している(ibid.)*2。
さらに注目すべきことは、一八世紀後半のヨーロッパに、アンダーソンがいうような「想像された共同体」が形成されただけではなく、まさに「想像力」そのものが特殊な意義をおびて出現したということです。ネーションが成立するのと、哲学史において想像力が、感性と悟性(知性)を媒介するような地位におかれるのとは同じ時期です。それまでの哲学史において、感性はいつも知性の下位におかれていましたが、想像力も、知覚の擬似的な再現能力、あるいは恣意的な空想能力として低く見られていました。ところが、この時期はじめて、カントが想像力を、感性と知性を媒介するもの、あるいは知性を先取りする創造的能力として見いだしたのです(p.167)。
――ハチソン及びアダム・スミスによる「道徳感情(moral sentiment)」或いは「共感=同情(sympathy)」の議論(p.168ff.)。「想像力」と「同情」を同じ準位で議論することはできるか。「同情」は知覚、対象の知覚野への現前を前提とするのに対し、「想像力」がその機能を発揮するのは知覚(現前)の外においてである。ともかく、柄谷氏によれば、
ネーションの感情が形成されるのと、想像力の地位が高まるのとは、歴史的に平行した事態です。この種の問題が哲学において最も早く主題化されたのは、資本主義的市場経済が最も早く発達したイギリス、殊にスコットランドにおいてでした(pp.167-168)。
そもそも、スミスがいう共感は、利己心が肯定されるような状況、つまり資本主義的市場経済においてはじめて出現するのです。共感は、共同体にあった互酬性を取りかえそうとするものです。しかし、共感は、商品交換の原理が支配する時にのみ出現する「道徳感情」あるいは「想像力」であって、共同体には存在しないものです(p.170)
仏蘭西革命のスローガンの一つである「友愛」は「スミスが共感あるいは同類感情(fellow feeling)と呼んだものと同じ」だということ(p.170)。また、「友愛」の「ネーション」への吸収(p.171)。
ここで、18世紀独逸哲学の話に入る。独逸哲学において、
カントは「バウムガルテンが感性あるいは感情に、理性的な能力を見いだしたことに対しても」反対した(p.173)。カントによる「感性」/「悟性」、「感じられたもの」/「考えられたもの」の区別;
「道徳感情」という問題は、それまで下位におかれてきた感情に、道徳的あるいは知的な能力があるのかどうか、という問題として出てきました。先述したように、それまでの哲学では、感性は軽視してきた。感性は人をあやまたせるものであり、真の認識や道徳は感性を超えたところにある、と考えられてきました。近代科学とともに感性が重視されるようになったけれども、それは感覚(知覚)に関してであって、感情はつねに下位に置かれてきた。ホッブスやスピノザにおいても、それは人が知性によって克服すべき情念にほかならなかったのです。
一八世紀になって、感情によって知的認識や道徳的判断が可能であるのみならず、ある意味で悟性あるいは理性を超えた能力があるということを主張する議論が出てきました。それはエステティク(aesthetics)と呼ばれます。これは美学と訳されますが、いわゆる美学だけを意味するわけではない。本来、それは感性論という意味なのです。バウムガルテンは『美学』(一七五〇−一七五八)を「感性的認識の学」として書いたのであって、芸術論はその中の一部でしかなかったのです。ところが、エステティクはほとんど美に関する学という意味で理解されるようになった。それに反対したのがカントです(p.172)。
「哲学」の「美学化」の例として挙げられるのはヘルダー(pp.175-176);
カントは感性と悟性を鋭く切断しました。ゆえに、彼は、道徳性を道徳感情によって基礎づけようとするハチソンに反対しました。カントの考えでは、道徳法則は理性的なものであり、感情あるいは感性には道徳性はない。「道徳感情」があるとしたら、それは道徳法則をすでに知っていることから生じるのであって、その逆ではない。しかるに、あらかじめ感情に理性的なものがあるというのは、道徳(理性)の感性化=美学化(aesthetization)です。
カントの考えでは、感性と悟性は、想像力によって綜合されます。しかし、いいかえると、それは、感性と悟性は想像的にしか綜合されないということです。(略)ところが、カント以降のロマン派哲学者においては、感性と悟性はもともと綜合されていると考えられるようになります。つまり、哲学が美学化されたわけです(pp.173-174)。
さらに、ヘーゲル(『法の哲学』)における「機構」としての国家としての「悟性的な国家」と「感情的契機」を統合した「理性的な国家」の区別(p.177)。また、ヘーゲルにおける「想像」の忘却(p.178)。
ヘルダーは近代の主観的な哲学に対して、風土、言語、そして言語の共同体としての民族(Volk)といった感性的な存在から出発しようとしました。しかし、そのとき、彼は、すでに感性を理性化していた。逆にいえば、すでに理性を感性化=美学化していたわけです。そこで、国家的理性は、風土・言語・民族といった感性的なものの中に基盤をもつようになります。そして、国家は、ホッブスやロックのような社会契約論でみられた国家とは異なる、いわば、「感情」に立脚したもの、つまり、ネーションとなるのです(p.176)。
たしかに、独逸は「ネーション」を考える上で、英国や仏蘭西とは違った意味における重要性を持つ。統一国家としての独逸の出現は19世紀のビスマルクを俟たなければならず、独逸というのは長らく理念として、或いは想像されたものとしてのみあった。
ところで、柄谷氏は「近代科学とともに感性が重視されるようになった」と述べている。しかし、それを素直に受け取ることはできないだろう。既にフッサールの『危機』における(ガリレオによる)「世界の数学化」の議論がある。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070327/1175006715
*2:但し、詳論はせず。英国浪漫主義とカントとの関係は再検討の必要あり。