Positive

コロキウム―現代社会学理論・新地平 (No.1(2006年6月))

コロキウム―現代社会学理論・新地平 (No.1(2006年6月))

Andre Beteille「市民社会と善き社会[1]」(西原和久訳)『コロキウム』1、pp.8-21



スコットランドの道徳哲学者たちは、のちにマルクスの著作や、さらにはその後継者たちの著作を特徴づけるようになるブルジョワ民主体制への原理的反発は持っていなかった。
18世紀のイギリスではブルジョワ民主体制はまだ発生期であり、アダム・ファーガソンアダム・スミスのような人物はこの体制の発展のもとで持続的な平和や繁栄の時代になると期待していた。このような伝統のなかで、市民社会への実証的態度は、ブルジョワ社会への実証的態度と手を携えて進んでいた。平和と繁栄は立ち現れてきた社会秩序の概念とともに進んだ。19世紀の社会思想に共通する対比は、H.サン-シモンとH.スペンサーの両者に見出すことができるが、「産業社会」と「軍事社会」という対比である。両者は、産業社会の暗い面以上に軍事社会の暗い面をよりはっきりと見ていたのである。(p.11)
市民社会への実証的態度」と「ブルジョワ社会への実証的態度」。原文は多分positive attitudeなんじゃないかと想像するが、オーギュスト・コントも彼の神学的→形而上学的→実証的という図式も登場しない文脈においては、やはりpositiveは肯定的と訳した方がわかりやすいのではないかとも思う。
これは所謂「市民社会(Civil Society)」論には、一方でヘーゲルマルクス的なBurgerlichegesellschaft(ブルジョワ社会)論の系譜があり、他方で「野蛮からの脱出」としての「市民社会」を強調した「スコットランドの道徳哲学者たち」の系譜があるという文脈で語られている。
さらに幾つか抜き書き。

インドの人々がイギリス支配の時期にシティズンシップを拒否されていたというのは真実だが、イギリス支配以前にインド人がシティズンシップを享受していたという考えは間違いである。イギリス支配以前の社会は、市民からなる社会でもなければ個人からなる社会でもなかった。それは、家族、カースト、共同体に基礎をおく社会であった。シティズンシップとカーストは相反する原理であり、一方が育つには、もう一方がかなりの点である程度まで衰退しなければならない。(p.18)

カーストは非常に大きな強さと持続性をもち、集団内と集団間をともに結びつける一つの制度であるが、私が市民社会における市民と国家を媒介する制度について語るときに念頭に置いているような制度ではない。私が念頭に置いているのは、私が「開かれた非宗教的な制度」と呼ぶものである。それは、親族や宗教からなる制度とは異なった部類のものである。(pp.18-19)
ところで、印度の「カースト」制度について、2つのテクストをマークしておく;


関根康正「幻想としての国家――南インドの生活世界から――」(飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』*1アカデミア出版会、1993、pp.105-129)
木村雅昭「インドの政治風土――「取り分」社会と「レイアーケーキ型」国家――」(『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』、pp.239-254)