佐藤方宣編『ビジネス倫理の論じ方』

承前*1

ビジネス倫理の論じ方

ビジネス倫理の論じ方

いただいた佐藤方宣編『ビジネス倫理の論じ方』を先週読了した。


序章 倫理はなぜ/いかにビジネスの問題となるのか(佐藤方宣)
第一章 企業とビジネス――社会的責任はどう問われたか(佐藤方宣)
第二章 社会的企業――どこまで何を求めうるか(高橋聡)
第三章 組織と仕事――誰のために働くのか(中澤信彦)
第四章 競争と格差――何のために競うのか(太子堂正称)
第五章 消費者主権――お客様は神様か(原谷直樹)
第六章 食と安全――何がどう問われるのか(板井広明)
第七章 企業と国家――国境を越える責任(中山智香子


参考文献
あとがき
索引(事項/人名)

本書は『ビジネス倫理の論じ方』であって、「ビジネス倫理」の諸問題に対して何かしらの〈べき論〉を言い立てるのではなく、経済思想史専攻の執筆者たちが経済思想史を遡りつつ、古典的なテクストの現代的諸問題へのレリヴァンスを提示するという仕方で、「ビジネス倫理の論じ方」を提案するという本だといえる。
序章においては、ミルトン・フリードマン*2コント=スポンヴィルという左右からの「ビジネス倫理」批判を紹介し(pp.12-16)、本書がそうした批判への応答でもあることが示される。第一章では、「企業の社会的責任」論の系譜が紹介され、「企業の社会的責任」が「企業という市民社会の多様な構成要素の一つが果たすべき応答責任」と位置づけられる(p.45)。今、収録された各論攷について詳論することはできないのが遺憾ではあるが*3、第二章以下ではより具体的な問題に焦点が当てられている。第二章では、「社会的企業」が経済的合理性の下に位置づけられる。第四章では、アダム・スミスが参照され、「競争」の多義性、現代において「競争」を肯定する側も否定する側も「競争」の多義性を切り縮めていることが示される。第五章は、「消費者主権」について、その概念を最初に使用したウィリアム・ハットに遡りつつ、「ハットが考えた本来の消費者主権」は(クレーマーのような)「消費者のエゴイスティックな行動を無条件に肯定するものではな」く、「もっと多様な規範的含意に開かれたもの」であることを明らかにする。第六章では、ベンサム功利主義以降の思想史から「何を食べるべきなのか」問題に関する言説の系譜が紹介され、最後に「われわれは、メディアに惑わされることなく、「安楽への全体主義」に陥ることなく、世界の食糧事情と向き合いながら、何を食べるべきなのか、そしてそれは、どういう問題とつながっていて、なにゆえ倫理的なのかを、生活の場で、不断に問い直していくしかないのではないだろうか」(p.212)と問いが読者に突き返される。また、「安全で安心できる食を得られたとしても、それがはたして豊かな食生活の実現になるのかは、大いに疑っていいだろう」(p.212)という一文も引用に値しよう。第七章では、グローバル化を背景に「企業と国家が連動して倫理的・社会的責任を意図的に葬り、人間の生命や環境、ひいては人間の尊厳を脅かしている絶望的な現実」(p.246)を背景に、国家、企業、個人の責任が問われる。また、グローバリゼーションに対する態度の起点に、「ドイツ歴史学派」と「オーストリア学派」の論争を置くというのは(p.222ff.)、興味深かった。
以上、きわめて雑に全体を眺めたが、第二章の高橋論文と第六章の板井論文は、日常生活世界或いは歴史的生活世界への還帰という私の関心とも響き合うものがあったということは申し述べておかなければならない。