「天皇制」と「差別」

ちょっとメモ。
上小田井という人、町山智浩氏に絡んで曰く、


一瞬昭和からタイムスリップしてきた教条左翼? と思ったけれど、ただのコロナ・ワクチン陰謀論者、萌え絵好きのキモオタであるようだ。
それに対して、町山氏*1
鉢かづきさんという方の問いかけがあって、また町山氏;
また、これに関連して、中嶋哲史氏*2曰く、
以前にも書いたが、「天皇制」を議論する人は何故「天皇制」という言葉で議論しようとするのか、何故(政治学用語としての)「君主制」、(人類学用語としての)「王権」といった普遍的用語で議論しようとしないのか、という疑問はずっと持っている*3。そうしないと、思考の拡張が不可能になるだろう。比較ということもできなくなる。「天皇制」と「差別」ということならば、世界の君主制の国と共和制の国を様々な「差別」の指標について比較することによって、暫定的な結論を得ることもできる。現実において、「天皇制」という用語は或る種のマジック・ワードと化しており、そこから得られるのは、世界に冠たる凄い日本の根拠といった国粋主義的陶酔か、逆に日本の悪しきところは何でも「天皇制」のせいということで納得してしまう頭の悪そうな還元主義なんじゃないだろうか。どちらにしても、思考の拡張ではなく、思考の縮小、さらには思考の停止だろう。