「アメリカ例外主義」の揺らぎ、そしてサムナー(メモ)

承前*1

過渡期の世界―近代社会成立の諸相

過渡期の世界―近代社会成立の諸相

高哲男「ビッグ・ビジネス社会の形成とアメリカ経済思想の展開−−一九世紀末から一九二〇年代までの概観−−」in 鈴木信雄、川名登池田宏樹編『過渡期の世界』、pp.345-365


産業化による「アメリカ例外主義」の揺らぎに伴う思想的動向。ヘンリー・ジョージとエドワード・ベラミー;


土地単一課税によって土地所有の利益をなくしてしまおうというジョージの主張は、しばしば社会主義的だといわれてきた。確かにその要素はあるが、人間が土地で労働する権利は神から平等に与えられおり、地代さえなくなれば労働の成果を等しく享受できるようになるという主張にすぎず、具体性を欠くとはいえ、なお「自由と平等」というアメリカ的価値規範に沿う内容であった。またベラミーの場合は「共同」にもとづく精神的な高貴さと科学の発展による効率性の実現とが高く評価されており、これまた科学技術にたいする盲目的信頼というアメリカ的な伝統を極端な形であらわしていた。マックレイカー(独占・腐敗暴露作家)たちの仕事もまた、たとえそれがビジネスとして行われたにせよ、「事実の公開」というデモクラシーの基本原則にそうものであったかぎりで、やはりアメリカ的特徴の不可欠な一端であった。(p.350)
ヘンリー・ジョージについては知らず。また、高哲男氏も関連する文献を全然提示していない。エドワード・ベラミーはユートピア小説、そしてタイム・トラヴェル小説である『顧みれば』の著者。マックレイカーについても知らず。
顧りみれば (岩波文庫 赤 332-1)

顧りみれば (岩波文庫 赤 332-1)

宗教の動向について;

伝統的な「地域社会」の崩壊は社会構成員間の地位と役割の転換・逆転をともなっていたから、牧師はフランクリン的な「富と徳」の一致を説きつづけるわけにはゆかなくなった。工業化の進展は流動性の高い多くの人口を都市に流入させた。貧しいばかりか孤独でもある大衆は、仲間を見つけるためにファンダメンタリズムの運動に飛び込んだり、キリスト教社会改良運動に引き寄せられたりした。世紀末に燃え上がったさまざまな宗教運動は、ひび割れはじめた「アメリカ例外主義」のイデオロギーを、再び宗教という根底的なレベルで修復・維持しようという試みでもあった。(ibid.)
これについては、Karen ArmstrongのThe Battle for God*2をマークしておく。
The Battle for God: A History of Fundamentalism (Ballantine Reader's Circle)

The Battle for God: A History of Fundamentalism (Ballantine Reader's Circle)

1880年代には米国の大学における社会科学(経済学、社会学政治学)の制度化が急速に進む。社会科学に期待された役割−−「亀裂を生じた「アメリカ例外主義」のイデオロギーを科学的に編成し直し、自由と豊かさを同時に実現しつづけるために必要なことを研究・教育すること」(p.351)。米国社会科学の起源について、高氏は


Dorothy Ross The Origins of American Social Science*3 Cambridge University Press, 1991


を挙げている(p.360)。


また、米国における(生物学以外での)「進化論」の受容とWilliam G. Samnerについてメモ;


ダーウィンの進化論は、一八六〇年代の終わり頃にほぼ受け入れられるようになったが、社会思想に大きな影響を及ぼしたのは、なんといってもスペンサーの進化論であり、一八七〇年代半ば以降のことである。スペンサーの主張は、立法によって社会改革を積極的に推し進めてゆこうとするベンサム主義への攻撃を含んでいたから、伝統的な「自由放任」の思想にうまく合致した。くわえて「適者生存」の進化論は、資本主義的競争体制それ自体があたかも社会進化のプロセスを体現しているかのように描き出して、成功した人々の自尊心を満足させたから、A・カーネギーを筆頭に多くの「産業の将帥」たちに大歓迎されたのである。
スペンサー主義つまりソーシャル・ダーウィニズムのチャンピオンは、一八七二年にイェール大学に新設された政治学・社会科学講座に就任したW・G・サムナーであった。もともと個人主義的な自由主義者であった彼がスペンサーの社会進化論を受け入れたのは、一八七五〜六年頃であった。進化は人間道徳とは無関係であり、進化の過程では自然もまた完全に中立的なものだと主張した点で、スペンサーのそれよりもはるかに機械的な「適者生存」の理論であった。スペンサーの社会進化論に色濃く残っていた倫理的進歩主義は一掃されてしまう。社会の進化はきわめて長期的な人知を超えたプロセスであり、したがって立法手段をつうじた性急な社会改良の試みもすべて「自然への介入」であるかぎりで誤りだ、と断定することになった。ドイツに留学して科学的な神学研究を学び、短期間であれ聖職に就いた経験をもつサムナーは、神を追放することによって、逆に神のデザインを実現しようとした「科学者」だったといえよう。
もっとも、この時期の自由主義的経済学者のなかでソーシャル・ダーウィニストであったのはサムナーだけといってよく、他の人々は「独立・自助と自由競争」がもたらすであろうダイナミックな社会の調和に信をおくアメリカの伝統的・支配的思想の持ち主であったにすぎない。しばしば誤解されてきたが、サムナーは決して単純な自由放任主義者ではない。アメリカの政治制度はデモクラシー以外にありえないとしても、それはすでに政治家や公務員などを組み込んで組織化を進め、「統制された自由」(freedom with control)の実現をめざすほかにないという意味で、国家の役割の強大化を当然のことと考えていたからである。(pp.354-355)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091118/1258516583

*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081211/1229012325

*3:何故か、「社会科学」は単数形になっている。