岩国は周防

山折哲雄*1河上肇――長州のラスト・サムライ」『機』(藤原書店)375、p.25、2023


先ず書出し;


河上肇*2山口県岩国市の生まれである。まぎれもない、長州人だ。
岩国は周防国に属し、故に岩国生まれの河上は正しくは「長州人」ではなく周防人といわなければならない。

この河上肇の人生について、最近私は思いがけない著書と出会い、蒙をひらかれた。その著者というのが、アメリカ人女性のゲイル・L・バーンスタイン教授で、書物のタイトルが『河上肇――日本的マルクス主義者の肖像』(ミネルヴァ書房、一九九一年)、原著はハーバード大学の出版会から出ている。
なぜこの書を読んで驚かされたのか。その結論部分で著者は、河上のことをマルクス主義者というよりは、生涯をかけてある原理を追求しつづけた「近代の侍」であったと評していたからだ。あゝ、ラスト・サムライが山口の地に誕生していたのかと、ビックリ仰天したのである。
氏によると、河上のライフワークには、欧米社会における伝統的な遺産を慎重に選別しているところがあった。たとえばキリスト教の倫理と資本主義の合理的精神のあいだの矛盾。はたまた日本の道徳と西欧的な個人主義のあいだの矛盾。そのうえ河上自身の人格にある非営利主義と利己主義、つまり自己否定と自己主張の矛盾相克の問題が、それらの葛藤と重なっていた。それはたんに日本的なものと西洋的なものとに分類できるような性格のものではなかったのだ、と。

このバーンスタイン教授の仕事は広範にわたるが、あるとき河上の未亡人・秀さんにこんな質問をしていた。「獄中の河上はたびたび転向の要請をうけたにもかかわらず、なぜ非転向をつらぬいたのですか」と。すると夫人は「私どもは長州の人間ですから……」と答えたという。
岩国は周防であるだけでなく、長州の萩を拠点とした毛利家支配に対しても複雑な感情を有していた筈だ。岩国藩は独立した藩としてのステータスを主張していたが、長州藩(萩藩)側は、吉川家は毛利家の臣下であるとして、その主張を認めなかった。岩国藩に独立した藩としてのステータスが認めたられたのは廃藩置県の直前にすぎない。
ところで、陰謀理論な人たちにとっての聖地(かも知れない)田布施*3も周防。
また、河上秀さんの実弟は伝説の毛沢東主義者、大塚有章である*4