湯川れい子のこととか

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061003/p1経由でhttp://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20061002165618/index.htmlを知る。湯川れい子とは懐かしい名前。そういえば、東郷かおる子さん、水上はる子さん、お元気なんでしょうか。
『日経』に載った湯川れい子インタヴュー*1の要約は、


1.立ち読みは『盗み読み』という立派な犯罪。

2.立ち読みによって、作家が損害を被るばかりでなく、本や雑誌は日本の知的財産であり、立ち読みによって国家的な財産が侵害されるのである。

3.このまま立ち読みを許し続ければ、誰もよいものを出そうと思わなくなり、次世代の才能は育たず、日本の文化は衰え、国の力が低下してしまう。

4.グーグルが世界中の書籍をネットに載せれば、『ネット盗み読み』が増えかねない。

5.図書館に行く人と立ち読みする人は人種が違う。図書館はいいのだ。

6.どうすればいいかだが、知恵はない。結局、一人一人のモラルに訴えることと教育で徹底するしかない。

ということであるらしい。洋書や洋雑誌を「立ち読み」すると、米国や英国の「国家的な財産」を「侵害」することになるのか。深夜のコンヴィニエンス・ストアの「立ち読み」というのは一種泥棒除けの意味があるわけだし、「立ち読み」というのは一般に洋服を買う際の試着にあたるのではないかとも思う。そういえば、ヒッピー時代の村上龍が新宿の紀伊国屋書店で万引きをして捕まったとき、紀伊国屋書店の社長で作家だった田辺茂一が本の万引きは罪ではないと言ったことを引いて、抵抗したとかしなかったとか。
話を戻して、湯川れい子という人、シャネルズ(その後、ラッツ&スターに改名)のデビューの黒幕だったわけだが、それとちょうど同時期、つまりYMOの散開以前、テクノ系の音楽とともに当時流行っていたBIGIなどの黒系の服に〈ファシズムの復活〉を感じると、たしか新聞のインタヴューで答えていたような気がする。そして、1990年代は日本のニュー・エイジ文化の重要な文化人となる。島薗進氏の『精神世界のゆくえ』(東京堂出版、1996)
精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動

精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動

から少し抜き書きをしてみる;

一九九三年三月、湯川氏は何かと思い悩むことを心に抱きつつ、神奈川県の寒川神社に参拝し、祈るうちに光明を感じ、次のような声を聞く。「スメラミコトハ、クニノオヤナリ。スベテノオヤヲウヤマヒ、スベテノコヲウヤマヘ」。しばらくして、年に一度、「調和」の日とし、夫とともに催している「魂の子守歌」の集いの日が来る。その六月九日は皇太子と小和田雅子妃の結婚式の日と重なった。この「偶然の一致=共時性」にちなんで、一九九三年の「魂の子守歌」は「高天原縁起」のタイトルのもとに行われた。そうした催しを経つつ、先の神示の意味を考えながら、湯川氏はこれまでの自分の「責める気持」を省みる。自分のなかに天皇制を批判する気持があり、そのことと他者を責めようとする気持に関係があるのではないかと思うようになる(pp.62-63)。
また、湯川さんは、


 お わ だ ま さ こ
 か わ し ま き こ


という対応関係を見いだし、それをユンク的なsynchronicityの概念によって意味づけようとする(p.64)。


(前略)湯川れい子シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を読んでから、「ニューエイジ」への共鳴を深めていく。霊性や自己変容に親しんでいく過程で、湯川氏は何人かの霊能者・占術家・霊性指導者らに出会い、その指導や助言を受ける。そのなかには、「十字式研究普及会」の安久津政人、「意識教育研究所」の波場武嗣、「神霊主」の王麗華、「霊能者」のからつみ、「易学・気学」の高橋秀斉、「西野式呼吸法」の西野皓三、「ハイポニカ栽培法」の野沢重雄、「鍼灸指圧」の和光といった人たちが含まれている(p.268、注1)。

*1:ウェブにはない?