矢崎泰久

NHKの報道;


雑誌「話の特集」の元編集長 矢崎泰久さん死去
2023年1月1日 0時42分


ミニコミ誌ブームの草分け的な存在となった雑誌「話の特集」の元編集長でジャーナリストの矢崎泰久さん*1が12月30日、急性白血病のため東京都内の自宅で亡くなりました。

89歳でした。

矢崎泰久さんは、早稲田大学政治経済学部を中退したあと新聞記者を経て、1965年に雑誌「話の特集」を創刊すると1995年に休刊するまで編集長を務めました。

雑誌は「反権威、反権力」のジャーナリズムを掲げ、作家の野坂昭如さんや放送作家永六輔さんなどのほか、イラストレーターの和田誠さん、グラフィックデザイナーの横尾忠則さんなど各分野で活躍する著名人が登場し、ミニコミ誌ブームの草分け的な存在と呼ばれました。

また、テレビなどのプロデューサーとしても活躍したほか、「人生は喜劇だ」「永六輔の伝言」などの著書でも知られています。

家族によりますと、矢崎さんは去年3月に体調を崩したものの、最近まで精力的に執筆やイベントへの参加などの活動を続けていたということですが、12月30日、急性白血病のため東京都内の自宅で亡くなりました。

89歳でした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230101/k10013939291000.html

1970年代当時、『話の特集』や『面白半分』や『宝島』や『ビックリハウス』は「ミディコミ」と呼ばれていたと思う。つまり、大手出版社や新聞社のマスコミと同人誌などの「ミニコミ」の中間。『面白半分』や『話の特集』は、1980年代以降の言葉遣いによれば〈サブカル系〉雑誌ということになるのだろうけど、その中でも、『話の特集』は(中村とうようの『ニュー・ミュージック・マガジン』とともに)左翼的な政治的スタンスを明確にしていたと思う。というか、1970年代において、驚くべきことに、岩波の『世界』や筑摩書房の『展望』は別として、インディペンデントで、しかも商業的に成り立っていた左翼的メディアというのは殆どなかったのだった。矢崎氏は、『青空が見えたこともあった』という著書の中で、当時の代表的左翼雑誌とされていた『流動』や『現代の眼』を「総会屋系」と切り捨てている。あと、あの頃、左翼的な言論が掲載されていたのは『潮』や『第三文明』といった創価学会系の雑誌だった*2。そうした中で、『話の特集』はハイセンス(ポップ)でインディペンデントでかつ左翼的な雑誌として光っていたと思う。
NHKの報道ではオミットされているけれど、矢崎氏は1970年代後半から1980年代にかけて実際の政治にもコミットし、「革新自由連合」の事務を担い、中山千夏さん*3参議院に送り込んでいる。See also


矢崎飛鳥「矢崎泰久(ジャーナリスト/元「話の特集」編集長)逝去のお知らせ」https://note.com/accn/n/na3a3c2f08f6c