ROな人々

日刊SPA!編集部「元ロッキング・オン編集長・増井修「編集部6人で年間3億円稼いでいた」――ロック雑誌黄金期を振り返る」https://nikkan-spa.jp/1160354


2016年の記事。『ロッキング・オン*1の元編集長の増井修氏が回想録『ロッキング・オン天国』を上梓したという話。勿論、増井修という名前は聞いたことがあるけれど、それほど強い印象はない。というのも、増井氏が(企業としての)「ロッキング・オン」に入社した1980年代は私にとって『ロッキング・オン』から離れていった時期であり(毎号買っていた『ロッキング・オン』をばたりと買わなくなってしまったのは1981年頃だろうか)、1990年代というのはて『ロッキング・オン』に殆ど触れようともしなかった10年間。まあ、21世紀になって、『ロッキング・オン』への関心は少し回復したと言える。雑誌『SIGHT』の創刊は、渋谷陽一松村雄策の対談(「渋松対談」)で知ったのだから、本屋で見れば立ち読みくらいはするというくらいの関心はあったわけだ。
See also


hayashiya7「増井修 『ロッキング・オン天国』」http://hayasiya7.hatenablog.com/entry/2016/05/23/215119


同じ方の「ロッキング・オン 2009年10月号 渋谷陽一×粉川しの対談」というエントリー*2では、『ロッキング・オン』通巻500号記念だというROの初代編集長たる渋谷と当時の編集長の粉川しのさん*3との対談が紹介されている。紹介されているのは、『ロッキング・オン』の神話時代の話。まあこの頃の話というのは、渋谷氏自身によって何度か語られてきたということはあるけど。逆に問題なのは、その神話の語り部が専ら渋谷陽一だということだろうか。岩谷宏が語る初期『ロッキング・オン』というのはあるのだろうか。また、初期において主に裏方の営業を担い、後に社会党系の政治家になった大久保清志氏とか。まあ俺が知らないだけかも知れないけれど。
そんなことを考えていたら、、『ロッキング・オン』にいた人々の〈あの人は今?〉はどうなっているのだろうと思った。例えば、竹場元彦という人。プログレ、特にカンタベリー系に詳しくて、渋谷陽一によれば、『ロッキング・オン』の赤字を補填するために学習塾をやったことがあるという。また、ヤオイ系の漫画を連載していた竹田やよいという方*4。また、たぐちくにこという方がいて、渋谷陽一と結婚して、渋谷邦子になって、渋谷邦子としても何回か文章を発表していた。因みに、1970年代の『ロッキング・オン』の寄稿者でいちばん印象に残っているのは、実は元四人囃子のキーボード・プレイヤーだった茂木由多加*5。そういえば、ハルヲフォンのギタリストだった小林克己も寄稿していたことを思い出した。