「濾過器」として

中井久夫河合隼雄先生の対談集に寄せて」(in 『日時計の影』*1、pp.78-92)


河合隼雄*2と「ユング」について。


「河合学」はユング心理学の日本版だというのはさしさわりがあるであろうが、そこではユングの原典は決して聖典化されていない。私などにはユングの原書ははなから頭が受け付けないのである。ユングにはインタヴューはあるが、ラカンと同じく、どうみても対話的な人とは思えない。グールー的な面さえあると私は思う。老賢者というには最晩年まで少し脂濃すぎたのではあるまいか。
私は国外のユング派の一端をかいまみたことがある。私が先生*3の主催された国際箱庭療法学会にコメンテーターとして出た機会である。懇親パーティーの外国出席者の中には失礼ながら魑魅魍魎に取りつかれたり、国際的ホラ吹きとしか思えない人もいた。私は独りの延々とした自慢ばなしを聞いて「あなたは七回生まれ変わった猫ですね」と思わず言ったものである。ミルチア・エリアデの日記や秋山さと子女史のユング研究所滞在記をみても、そこはそういう人も許容して無害化する装置という一面があるのかもしれないが、ユング心理学はわが国において先生という濾過器を通すことによって、浄化されて、一般に通用する形で語られれうようになったのではあるまいか。
河合先生は、ユングに学んでも、基本的には対話的な人であったと私は思う。これは大きなことである。その証左がこの本*4である。その底には絶えず自問自答があったのではないだろうか。自由連想に近い時もあっただろう。その一端が水面に現れたのが、あの冗談、だじゃれ、語呂あわせかもしれない。あれは、思考が飛躍しすぎる時に現実に引き戻すための「黒子」だったのかもしれない。先生が「トリックスター」を大いに取り上げた時期があるがあ、先生はご自分の中にもトリックスターを飼っておられたのかしれない。(pp.84-85)
さて、翻訳の意外な効用について;

さらに、ユングの「毒」もご存じだったと思う。「私はユングを主に英訳で読んでいる。ドイツ語の原文はきつくて読めない」と私に漏らされたことがある。先生一流のミスティフィケーションかもしれないが、案外、ほんとうかも知れない。ゲーテは自分が昔書いた『ファウスト第一部』をジェラール・ドゥ・ネルヴァルのフランス語散文訳で読んでいるが、それもおのれの毒を避けたのであろう。(p.85)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/07/05/101121 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/07/17/014835 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/12/16/130847

*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070529/1180466787 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070719/1184875682 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20071012/1192195684 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091229/1262082874 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110731/1312133286 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130430/1367290651 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160919/1474248538 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170727/1501180079 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180515/1526352150 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180531/1527731581 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180608/1528421506 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180615/1529030767 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180619/1529375418 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180625/1529899622 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180701/1530414556 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180703/1530633925 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/06/30/133637 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/05/15/143224 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/03/11/124334 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/03/26/041048

*3:河合隼雄

*4:心理療法対話』岩波書店、2008. このテクストは元々この本の「解説」として書かれた。