「タリヌ」どころか足りている。
宗教上の理由で、学校で「クリスマス会」はできない。
— かあたん (@neokahtan) 2020年6月26日
ということを子どもに伝えたら、ある子がスタスタと黒板に歩み寄り、何やら書き足し「これならOKだよね」と言う。
その年はクラスで「タリヌマヌ会」をやった。
もうン十年前の話。子どもって素敵だなぁという思い出。
色々連想が広がる;
これ見ると江戸時代の出島のオランダ人がクリスマスが祝えないので、長崎の中国人が冬至を祝っていたのをヒントにオランダ冬至ということにして祝っていたのを思い出す。
— Snorlax (@hitoshih1) 2020年6月27日
そう、人類学的に考えれば、「クリスマス」とはそもそも世界各地に見られる「冬至」という宇宙の危機に対する儀礼的応答のひとつだといえる*1。日本の新嘗祭(大嘗祭)も同類。
ツイートを読んで思い出したのですが、戦前生まれの心理学者の河合隼雄が少年時代、戦争の激化でサンタの心配をしていると、父親が「今年は大きな袋をもってる大黒天に頼んでみよう」と思いつき、大黒天からという形で実際に贈り物が届いたそうです。大人になってもこういう柔軟な人でありたいものです
— パンケイク (@pancake_xf5u) 2020年6月28日
かつて梅棹忠夫も言っていたように、日本人にとって、三太とは(オホクニヌシと習合した)「大黒天」が姿を変えたものだったわけだ(『美意識と神さま』*2)。
- 作者:梅棹 忠夫
- 発売日: 1985/01/10
- メディア: 文庫
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070101/1167668245 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101228/1293511035 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150104/1420390585 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161226/1482717361 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/19/104356
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150104/1420390585