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子どもと悪 (今ここに生きる子ども)

子どもと悪 (今ここに生きる子ども)

河合隼雄『子どもと悪』*1から。


秘密は子どもの自立、あるいはそのアイデンティティとかかわるものなので、子どもは子どもなりの秘密を持とうとする。そのようなもののなかで、多くの子どもが体験するのは、自分なりの「秘密の宝」を持つことである。と言っても、それは素晴らしいものなので、ただ一人だけで持っているのは残念だから、どうしても「秘密の宝」を他人に見せたくなるのも事実である。「これは秘密だけど」という前置きつきで他人に見せることになるが、そのときには、やはり、自分が最も大切と思う人を選んでいるはずである。はじめは母親、それに父親、きょうだいなどだったのが、家族には見せずに友人にだけ見せる、というふうに変化していく。あるいは、ある時期に「秘密の宝」だったものが、しばらくするとまったく価値を感じなくなったりする。成長の段階に応じてその役割を終えていくためである。(p.149)
また、

親にとって、子どもが何でも話をしてくれて秘密を持たないというのは嬉しいことだ。安心でもある。しかし、それがずっと続くということはありえない。また、親がそれを強要し過ぎると、好ましくないことが生じる。だからと言って、親や教師が子どもに秘密を持つことを奨励するのも馬鹿げている。それは、子どもの成長に伴って自然発生的に生まれてくる。(pp.151-152)

(前略)子どもが成長してきても、一切秘密を持つことを許容できない親も問題である。このような親は子どもの部屋に秘かに入って、その持物を調べたり、日記を読んだりする*2。子どもの内的世界を尊重することができない。これは子どもに対する不信感というよりは、自分自身に対する不安がその要因になっている。自分に自信がないので、子どもが自立して離れていくのが怖いのである。これは親と子の関係のみではなく、指導する者と指導される者との関係においても言えることである。大人は自分のアイデンティティをしっかと持っていないと、子どもが秘密を持つことに耐えられない。子どもを自分の世界に留めておくことによって、安心を図ろうとするからである。(pp.153-154)