「契機」(メモ)

吉本隆明が亡くなったとき、マス・メディアの大々的な報道ぶりから、「かなり以前に井筒俊彦先生が亡くなったときなど、新聞の片隅にベタ記事が出ただけだった」ということを思い出したことがあった*1。『井筒俊彦 叡智の哲学』*2を書いた若松英輔氏も井筒俊彦の訃報のあり方に強い印象を受けたという。『井筒俊彦 叡智の哲学』の「あとがき」に曰く、


井筒の死は、新聞で知った。その扱いがあまりに小さかったのを、今でも鮮明に覚えている。全国紙をすべて買ったが、どこも形式的な記事ばかりだった。しばらく時間が経過して、河合隼雄司馬遼太郎じゃ情感のある追悼文を書くが、むしろ、それは例外的で、ジャーナリズムは沈黙していたといってよい。
もちろん、追悼記事の大きさがその人物の業績を直接的に物語るとは限らない。静かに逝った優れた人物も少なくない。しかし、当時感じた、著しい違和感が本書執筆の直接的な契機となった。(後略)(p.435)
井筒俊彦―叡知の哲学

井筒俊彦―叡知の哲学