小説と映画

承前*1

のほほん「ヴァン・デル・ポスト『影の獄にて』を読みながら『戦場のメリークリスマス』をもう一度考えてみる」https://nhhntrdr.hatenablog.com/entry/2022/03/24/115145


ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』と大島渚の『戦場のメリークリスマス』の比較。
原作において、「ヨノイ」は日本に帰国し、「ロレンス」に手紙を送っている。それに対して、映画の方では、ロレンスは死刑となり、現地で処刑される。ただ、映画のシナリオの初期の段階では、原作と同じように、「ヨノイ」は生きて日本に帰還することになっていたという。何故、現地での刑死ということに変更されたのか?
ここでは、河合隼雄『影の現象学』が援用されて、「ヨノイ」と「セリアス」(「セリエ」)が互いに「影」の関係になっていると説かれている。小説と映画の関係も互いに「影」になっている! まあ、このことは深層心理を持ち出すまでもなく、私たちの行為の構造から説明することができる。私たちの行為が自由なものである限り、それは幾つかの可能性(選択肢)の中から1つを選択することを意味する。例えば、昼に蕎麦を食べるか、うどんを食べるか、ラーメンを食べるか。1つを選択するということは、別の可能性を選択しなかった(選択しないことを選択した)ということである。何かを選択する場合、選択されなかった別の可能性(選択肢)が地(ground)として付き纏うことになる。ラーメンを選択した私は、選択しなかった蕎麦やうどんに付き纏われることになるのだ。