安倍晋三その他

中井久夫「安倍政権発足に思う」(in 『日時計の影』*1、pp.194-196*2)に曰く、


「小泉*3時代が終わって安倍*4が首相になったね。何がどう変わるのかな」
「首相が若くて貴公子然としていて未知数で名門の出で、父親が有名な政治家でありながら志を得ないで早世している点では近衛文麿を思わせるかな。しかし、近衛のように、性格は弱いのにタカ派を気取り、大言壮語して日本を深みに引きずり込むようなことはないと信じたい。総じて新任の首相に対する批判をしばらく控えるのは礼儀である」(p.194)
こちらの方も書き写しておこう;

日露戦争後の日本も盛大に近隣の恨みを買い、米国と無謀な建艦競争をし、アジアに覇権を唱えようとした。戦後の日本は、三〇年以上、恨みを解くために非常な努力をしている。皇太子時代の天皇ご夫妻が世界各地を歴訪しておられたのもそのためだ。たとえば、フィリピンで日本軍の行為を聞いて、美智子妃殿下は思わず涙を零された。情の民族であるフィリピン人はそれをテレビで見て、日本を許す気が初めて芽生えたという。現在の皇太子*5は子どもの時、両親の海外訪問でずいぶん独りにされている。その両親の背中を見て育って、皇太子夫妻の使命は外交にあると思われ、雅子妃殿下にも話されたかも。英国に留学されて、日本人が聞かない、聴きたくない赤裸々な日本人評を、耳にしておられないはずはないだろう。日本人の捕虜虐待の恨みは今も風化などしてない。口にはしていないけれども、プリンス・オヴ・ウェールズとレパルスの二隻が合戦準備をして行動中の戦艦としては世界最初に航空機によって撃沈された口惜しさだって現在形で語られているようだ」
「うーん、とすれば悲劇だね。お二人とも志を得ず、理解されず、ということか。それは私だけの憶測かもしれないが、しかし、今もアジアの人は政府より皇室のほうに好意的だ。皇室は謙虚だと思われている。そもそも、今、王制の国はだいたい無害な穏やかな国だ。二十世紀になってできた新米は除いての話だが。王室というものは発展よりも存続を優先させる。発展好きの現代に対するバランスだ」
「卑屈と謙虚とは違う。今の日本人は卑屈か尊大かだ。謙虚を徳目とした日本人はどこにいったのか。今、中国や韓国に向かって尊大なのは某国に対して卑屈な反動ではないだろうね。どこに対しても、”毅然とした態度”で臨んでいるだろうね」(pp.195-196)