「マージナル」の近代

磯田道史*1「医療や教育から排除される周縁」『毎日新聞』2021年10月9日


吉村智博『大阪マージナルガイド』の書評。


マージナルとは「周縁」のこと。都市空間には中心と周縁がある。徳川期の大坂は大坂三郷といわれ、町が天満・南・北の三組にわかれていた。武士は大阪城周辺と天満に、寺院は上町台地に集中。商人は船場・堀江に店を構えた。彼らが近世大坂の中心で、その周縁に「四カ所、七墓」が置かれた。刑罰に使役された「長吏」の集落が四カ所。弔いの従事者が七墓にいた。日本中の城下町に類似した中心と周縁の構造があった。
大坂が近代都市。大阪になり、この「周縁」空間は「大大阪」に含み込まれていった。本書はその様相を丹念に追っている。著者の吉村智博氏は大阪の人権の研究と博物館展示にかかわってこられた研究者。コロナ禍で、我々は生命を脅かされた。公共が「住民の生存」という最低限度の人権を守れるか。深刻な問題だ。歴史は中心の有力者を主人公に書かれやすい。しかし、醜い人間の心がいくら、差をつけ別にしたがっても、周縁は縁だから中心と地続き、とくに感染症は中心・周縁の差別なく両者をつなぐ。周縁が医療・福祉・教育で取り残されれば、中心にもきっちり影響が及ぶ。人が密集する都市では全てが「自分ごと」になる現実があるから、都市の全体理解には「マージナル」の分析のほうがむしろ重要である。

明治維新で警察・監獄業務から周縁の人々は除外された。近代化とともに食肉消費・ゴミの排出がさかんになると、周縁にはと畜場や衛生関係施設が立地した。諸説ある釜ケ崎*2の成立史も詳しく語られている。1900年代初頭は田園であった。そこにマッチ工場が建ち、工員の下宿・長屋ができた。1906、7年頃から簡易宿が営業を始め、日雇い労働者の止宿先になる。日露戦争から第一次大戦の大戦景気で街区が大きくなるが、大戦景気が終わると、工員の数が減少し、残留した人々の町になったようだ。工業化が流動的な労働者を欲して、近代にまったく新たに形成された町であるという。

明治時代は天賦人権ではなく、天皇が恩として民に下す「福祉」がなされた。1911年に「済生勅語」が出て時の首相を済生会会長にすえ、済生会医療が始まった。医療の空白にされた周縁に「治療券」を配布。チケット形式で施療を普及させた。周縁の側にも、政策に応じて地域の向上をはかる「名望家」や委員の動きがあった。差別・支配・収奪といった歴史もあるが、受動一方ではない周縁の様々な実態も描かれている。