サカザカ



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三重県中部にある牛と本居宣長で有名な都市は「松阪」と書いてマツサカと濁らず、名古屋の矢場町に本店がある百貨店は「松坂屋」と書いてマツザカヤと濁りますね。もっとも、関西の人は破裂音が苦手なので、大阪周辺ではマッサカと発音されるのが一般的なようです。松茸もマッタケと言う人が多いですね。

自分としては、「松阪」*1を「マツザカ」と言ってしまうことが多いですね。マツザカギュウとか*2。まあ東国的なバイアスで。
因みに、漢字表記が「松阪」に定まったのは明治以降である。
地元の人の見解を挙げてみる。

本居宣長記念館「マツサカ・マツザカ? 松坂・松阪?」https://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/matsusaka_yomi.html


曰く、


 本当の話、「松阪」の読み方は定まっていない。一般には「マツサカ」と読むといっている。これは以前からあった説だ。芦田恵之助も地元では「マツサカ」と言っていると証言している。だが、一方では「マツザカ」と言う読み方も使用されていて、前からどちらだと言う議論が繰り返された。促音説もあるが、これは音便なので論外。

 文字は「松阪」と定まっている。但し、宣長の『玉勝間』「伊勢国」でも「松阪」とも「松坂」とも書いた例があり(版本)、過去には混用しても平気だったようだ。「松阪」に、いつ定まったのかというと、それは明治初年頃かな・・と言う程度でよくわからない。
 島川安太郎『松阪の町の歴史』の解説を紹介しよう。「松阪」となったのは明治22年の町村制実施の時とする。その範となったのは大阪である。「大坂」が「大阪」になったのは明治3年であると言う。『松阪開府400年史』も、「大坂が大阪になったので。「松阪」に決定したと伝えられている。町議会の記録にはないが、公文書は、このころから阪を使用している」とほぼ同じ説だ。

川口保「「松阪」と「松坂」、「まつさか」と「まつざか」」https://blog.goo.ne.jp/tamotsu2008/e/3fdcad5436fc498f752a5624a880e503


曰く、


松阪市は正式には「こざとへん」の「松阪」を用い、「まつさかし」と濁らずに発音する。しかし「つちへん」の「松坂」もよく見かけるし、「まつざか」という濁った呼び方も日常的に使われている。

この地に松阪という名が初めて付けられたのは、天正12年(1584)、蒲生氏郷が四五百(よいお)の森に新城を築城した。この時、蒲生家にとって吉祥の字である「松」と、秀吉の居城大坂城から「坂」の一字を拝領して「松坂城」と命名した。
 この時地名も松坂とされ、当時は「つちへん」の「松坂」が使われていたが、明治22年の市制、町村制の施行によって、「こざとへん」の「松阪」に変えられた。

松阪市の正式な呼び名は「まつさかし」ですが、松阪市民においても「まつさか」と呼んだり「まつざか」呼んだり、また「まっつぁか」と呼んだりする。話し言葉では自然と呼びやすいように訛ってくるが、「まつざか」や「まっつぁか」は「まつさか」が訛ったものと思われる。仮名をふるときは「まつさか」と正式にふっても呼び方は少々訛ってもいいのではないかと思う。
松坂屋」はそもそも「伊藤屋」と謂った*3。「松坂屋」という屋号についてWikipediaから*4

松坂屋」のそもそもの由来は、1707年に伊勢松坂(現・松阪市)出身の商人・太田利兵衛が今日の上野店の前身となる呉服店を開業、自分の出身地名から松坂屋と名付けたことによるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地で、呉服の原料として縁があった訳である。

1767年、いとう屋が松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用したが、全店舗で屋号を統一する事となった際に全国チェーンを睨んだ結果、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%9D%82%E5%B1%8B

さて、苗字としての「松坂」。私の知る限り、みんなマツザカであって、マツサカさんは知らない。「松坂」という苗字の有名人といえは、松坂大輔*5松坂慶子*6松坂桃李*7だろうけど、何れもマツザカで、東国生まれ。大輔と慶子は東京、桃李は神奈川県茅ヶ崎