歴史的仮名遣

久松潜一『契沖』*1から。
契沖の『万葉集』註釈と並ぶ業績に「歴史的仮名遣」の「確立」がある。「歴史的仮名遣」に関する『和字正濫抄』が上梓されたのは元禄6年(1693年)。契沖が生前刊行した唯一の著作である(p.140)。


(前略)契沖は万葉仮名の用事について早くから注意していることは貞享二年二月*2に成った『正語仮字篇』や、延宝四年八月*3に成った『正字類音集覧』や、元禄四年になった『和字正韻』によって知られる。『正語仮字篇』では「イ」の万葉仮字を、以・伊・已。夷・移・怡・易・意・異・倚、「ロ」の仮字を、呂・路・侶・論・廬・爐・稜・驢・廬・漏・鹵・婁・魯と挙げて、伊呂波四十七字に及んでいるが、『和字正韻』では字例を挙げるのみでなく、 怡は「拗音、今転呼直言」と説明している。このようにして、万葉仮字の用字の調査から歴史的仮名遣の事実を知るに至ったのであろう。(p.139)

もとより歴史的仮名遣に近い見解は『万葉集』の本文を写した成俊*4の跋にも見えており、定家仮名遣に反対して、『万葉集』その他に見える仮名遣によるべきを説いている。契沖も恐らくそれを見たであろうから、それにもとづいて広く用例を集め、その学説を主張したのであろう。ただ契沖の用例の蒐集は上代の文献のすべてにわたって広く行なわれ、文献学的成果としてすぐれている。それだけ歴史的仮名遣は契沖に至って確立せしめられたのであり、種々の反対論を破ってこれを学界に君臨せしめたのである。歴史的仮名遣は契沖の万葉研究から導き出された成果であるとともに文献学的方法から引き出されて来た一つの語学的結論でもあった。(p.143)
『和字正濫抄』は橘成員『倭字古今通例全書』で批判された。『倭字古今通例全書』に対する反批判として書かれたのが『和字正濫通妨抄』(元禄10年執筆)。『和字正濫通妨抄』の「字句のはげしい所を和らげ」要約したのが『和字正濫要略』(元禄11年執筆)である。何れも刊行には至らず(pp.140-141)。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/12/01/194240 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/12/08/165045

*2:1685年。

*3:1676年。

*4:

じょうしゅん ジャウシュン【成俊】 南北朝時代の学僧。万葉集(寂印成俊本)に訓を書き入れ、巻二〇の識語(文和二年(一三五三))では、当世の定家仮名遣いが万葉集の事実に合わないことを指摘している。三井寺出身、権少僧都で当時信州姨捨山に寓居していたことが知られるが、生没年等は未詳。 (『精選版 日本国語大辞典https://kotobank.jp/word/%E6%88%90%E4%BF%8A-531933