「越境」しない、する

多和田葉子*1「越境する文学」『毎日新聞』2020年9月13日


「越境」を鍵言葉にして森鷗外を読む。
先ず、医者の父子を描いた「カズイスチカ」という短篇。「西洋と日本を比べて頭の中で文化の境界を自由に行き来しながら、食事や都市建設のあり方など文明全体に思考をめぐらす」。
「越境」しない「舞姫*2


(前略)豊太郎が妊娠したエリスの元に留まることを決意し、日本で待っている家族も出世も捨ててベルリンで苦労して生き抜いた、という筋ならば立派な越境の物語だが、そのような選択は鷗外自身にも想像のつかないものだったろうし、無理にそのようなストーリーをでっちあげても小説として破綻していただろう。小説という分野は自由である一方、「なるほどそのような生き方をした人間がいたか」と読み手を納得させなければならないので不自由でもある。そのせいか、エッセーを書く鷗外は鷗のように軽々と海を越えるが、小説を書く鷗外は重い歴史を背負って岸に留まり、薄明の未来をじっと見極めている。
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そして、「ヰタ・セクスアリス」;

越境と聞いてわたしがまず思い浮かべるのは「ヰタ・セクスアリス」である。翻訳のほとんどない時代に古典はもちろんのことドイツの同時代の哲学にまで目を通している主人公が子供時代の記憶を語り始めると、読者は江戸時代にタイムマシンで連れていかれたような目眩を覚える。春画を子供に見せて屈託なく笑う庶民、盆踊りで女装して踊る男たちなど、鷗外が自分の目で見た日本の古い文化層がドイツ語の医学用語と交差して立体的で魅力的な文面をつくっている。
鷗外が留学していた頃のドイツ語圏では、性を偏見から解放し、科学的に研究すべきだという考え方が広まりつつあった。ウィーンのフロイトはもちろんのこと、ベルリンに性学研究所をつくったマグヌス・ヒルシュフェルトなどは、「性的願望が抑圧されると人は病気になる」と主張することで性を道徳的偏見とそれに根ざす政治的抑圧から一歩解放したのである。(略)そういう意味でも「ヰタ・セクスアリス」は時代を先駆ける試みだが、当時の日本では残念ながら理解されず発禁になってしまった。(略)決してセンセーショナルな告白文学ではない。むしろ日本のいろいろな社会層に残っていた言葉遣いや風習を文化人類学者のように丁寧に集め、その豊かさや意外さを時々ドイツ医学の光に当てて楽しむような人間的な余裕が感じられ、わたしは越境の傑作だと思っている。