逝った先はイスタンブール?

『スポーツ報知』の記事;


ちあき哲也さん胆管がんで死去、「飛んでイスタンブール」など作詞

スポーツ報知 5月22日(金)7時3分配信


 庄野真代の「飛んでイスタンブール」、少年隊の「仮面舞踏会」などで知られる作詞家の、ちあき哲也(本名・小林千明=こばやし・ちあき)さんが、肝門部胆管がんのため10日午前9時18分に都内の病院で亡くなっていたことが21日、分かった。66歳だった。

 所属事務所によると、ちあきさんは4年前に胆管がんを発症。最近は体調を崩しがちで、入退院を繰り返していたという。闘病中も作詞活動を続けており、友人のすぎもとまさとに昨年提供した「Thanks〜さらば、よき友〜」が遺作となった。故人の遺志により、14日に近親者のみの家族葬が執り行われた。後日、お別れの会を開く予定。

 ちあきさんは神奈川県出身。知人から頼まれて制作したCM曲「黄色い麦わら帽子」(松崎しげる)がヒットし、作詞家として歩み始めた。矢沢永吉には「YES MY LOVE」、「止まらないHa〜Ha」を提供するなど、ジャンルを超えて活躍。すぎもととコンビを組んだ「吾亦紅(われもこう)」では日本レコード大賞作詞賞を受賞した。

 すぎもとまさと「ちあきさんの作詞があったからこそ、自分もやって来られたと思う。もっともっと作品を出したかったと思う。残念で仕方ありません」

 松崎しげる「初めてヒットした『黄色い麦わら帽子』を書いてもらい、青春時代を飾っていただいた作詞家さん…。同じ年代で戦ってきた方が亡くなるのはすごく寂しいです。謹んでお悔やみ申し上げます」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000252-sph-ent


ちあき哲也氏死去 とことん異端児を貫いた生涯

スポニチアネックス 5月22日(金)7時16分配信



 【ちあき哲也氏を悼む】「吾亦紅」や「飛んでイスタンブール」などのヒット曲を知っていても、ちあき哲也の顔を知るファンはほとんど居ない。「歌書きは裏方」に徹して、人前に出ることがなかったせいだ。出世曲「…イスタンブール」を作曲した筒美京平ともども、派手好きな歌謡界の冠婚葬祭に、一切顔を見せることはなかった。

 一人語りの口語体、およそ曲などつきそうもない破調の詞に、彼独特の美意識がシャープな切り口を作る。ごく初期、彼がまだ大学生だったころの作品に「女の旅路」がある。ドラマのクライマックスだけを、鋭利な刃物のように突きつけてくる凄みを激賞したら「僕は演歌じゃないからね」と、口をとがらせた。

 以後「ノラ」では女の愛の一人芝居を書き「かもめの街」は、渋谷道玄坂の上から見おろした夜明けの町を海に見立てて、あてどない女心をカモメに託した。

 「吾亦紅」は、母を亡くした相棒の作曲家・杉本眞人を、慰めようと手渡したいわば私信。数年後に

 「あの子が思い出したみたいに、曲をつけたのよ」

 鼻下にうっすらとヒゲ、おねえ言葉でフッと笑うちあきが「あの子」と言うのは杉本のこと。やんちゃな言動の杉本と、ひ弱なちあきの組み合わせだが、妙に「あ・うん」の呼吸が合って「銀座のトンビ」「くぬぎ」「曙橋」など、隠れたいい作品が多い。

 僕がちあき哲也に最後に会ったのは昨年の4月30日、USEN・昭和チャンネルの僕の番組で、5時間近く彼の作品を聴きながら話をした。肝臓がんと闘っていることは分かっていて、体調を気づかったが、彼は意を決してでもいるように、その半生と歌づくりのあれこれを語り尽くした。その後、所属事務所との契約も解消している。覚悟のうえの数カ月を過ごした気配が濃い。

 ガラスみたいな繊細さ、品のいい隠花植物みたいな生き方と妖しい秀作を残して、ちあきはひっそりと逝った。とことん異端児を貫いた生涯である。

 《あいつが作ったのは“ちあき哲也”というジャンルか…》

 僕はそう鵜呑(うの)みにして、歌社会でたった一人僕を「良太郎さん!」と呼んだ友人を、粛々と見送ることにする。 (音楽評論家・小西良太郎)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150522-00000064-spnannex-ent

勿論、庄野真代の「飛んでイスタンブール」や「モンテカルロで乾杯」*1も、松崎しげるの「黄色い麦わら帽子」も、少年隊の「仮面舞踏会」も、(メロディが鼻歌で出てくるという意味で)知っているけど、「ちあき哲也」が作詞したということを意識したことはあまりなかった。ポップスか演歌かといえば、実際のところかなりポップスに傾いているのに*2、何故か(全体として)演歌な印書が強かったのは、どう見ても演歌だろうというその風貌のせいだったのかも知れぬ(死者に対して幾重にも失礼なことを書き連ねてしまった)。
最近読んだ多和田葉子『言葉と歩く日記』*3で「飛んでイスタンブール」がその歌詞を中心に言及されていたのだった(pp.166-168)。多和田さんも全然注目していないのだが、この曲の特徴のひとつは、日本の歌詞として例外的に脚韻が目立っているということだ。そもそも日本語ではそのSOVというシンタックス故に昔も今も脚韻を踏むということはなく、意識的・無意識的に行われていた韻は寧ろ頭韻だった(Cf.川本茂雄『ことばとイメージ』)*4。日本語で脚韻が意識されるようになったのは、ヒップホップ(ラップ)が導入されてからだろう。その意味では、 ちあき哲也というか「飛んでイスタンブール」には先駆性があったということになる。
ことばとイメージ 記号学への旅立ち (岩波新書 黄版 331)

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