「駄目」(メモ)

多和田葉子『言葉と歩く日記』*1からメモ;


子供がこっそり触ってはいけないものに触ろうとするとお母さんが「駄目よ」と言う。「あなたはそれに触ってはいけません」という構文なら、主語があって、対象となる物があって、禁止の助動詞などで、主体が自分の意志で触らないことにする。「駄目よ」には主語も動詞もない。試験の結果を見てがっくり肩をおとして「駄目だった」と言う。この場合も主語も動詞もない。「わたしは試験に落ちた」と言えば、主語である「わたし」が失敗を引き受けなければならない代わり、もう一度、挑戦することができる。でも、「駄目」はべったりして、立体感がない。(略)こんなべったりした言葉で子供の時から駄目駄目世界を生きてきて、最後にはその人間が駄目だということになってしまったら、もう自殺するしかない。これは日本語が悪いのではなく、日本語の使い方が平面的過ぎるのではないかと思う。
「駄目」をローマ字で「Dame」と書くと、ドイツ語では「婦人」の意味になる。ある日本人旅行者がドイツでトイレに入ろうとすると片方のドアには「だめ」、もう一つのドアには「へーれん(Herren)」と書いてあったので、どちらにも入れなかった、という笑い話がある。(pp.61-62)
私もよく「駄目」! というけれど、目の前の子どもの行為をできるだけ早くやめさせるという目的を達成するためには、「触ってはいけません」は勿論のこと、


触るな!

でもまだるっこしいということはあると思う。単純に音節が多いという理由で。触るな! は4音節。それに対して、英語の


Don't touch!


にしても、中国語の


別摸!


にしても、2音節。日本人は


駄目!


と叫ぶことで、やっと英語や中国語に追いつけるわけだ。