多和田葉子『尼僧とキューピッドの弓』

多和田葉子『尼僧とキューピッドの弓』*1を昨日読了。


第一部 遠方からの客
第二部 翼のない矢


解説(松永美穂

第一部の「遠方からの客」では、日本人作家の「わたし」が「ハンブルグブレーメンとハノーヴァーを線で結べばできるはずの三角形の真ん中にある」「W市」(p.10)にあるプロテスタントの女子修道院(尼僧院)を訪問し、「遠方からの客」としてもてなされ、「尼僧」たちと交流する。第二部の「翼のない矢」は、第一部では言及はされるけど直接登場することのなかった「尼僧院長」による一人称の語り(「わたし」)。彼女は恋人であった弓道教師と駆け落ちして、修道院から失踪していた。第一部の「わたし」が「修道院」について日本語で書いたテクストの英訳本を米国のカリフォルニアで読み、それに触発され、過去を回想し、自らの〈自伝〉を書き始める。
以下ネタバレあり。
「遠方からの客」の最後の方に、突然幻想的(幻覚的)な場面が出てくる;

明美さんは仕事にもどった。わたしはすることがないので、裏の庭にまわって、睡蓮の前にしゃがんだ。蜜蜂*2が一匹飛んできた。わたしの黄色い服の胸元にとまって、花模様のおしべめしべの中に蜜を捜している。激しく振動する羽が何十にもだぶって見える。変な蜂ではある。後ろ脚は緑がかった色をしていて人間の脚そっくりだ。尻が盛り上がっていて、ちゃんと肛門もある。肛門から霧が吹き出る。その時、小さなバッタが飛んできて、わたしの靴の先にとまった。顔を近づけてよくみると、足先が雨蛙のように分かれている。しかも、背中から赤い鳥の羽が一本だけ生えている。あり得ない。頭上の木の枝には、頭蓋骨だけになってしまった鳥が司祭の服を羽織って長い棒をもってとまっている。
最後の審判ですよ。」
はっとして目をあげると、河高さんが如雨露*3を持って立っている。視線をもどすと、木の枝にとまっていた鳥の姿は消えていた。
「え、今、何ておっしゃいましたか。」
最後の審判です。今月の特集は。この間、雑誌をさしあげたでしょう。定期購読できますよ。」
「絵ですか。」
「そうです。ボッシュの絵です。とても、」
とても綺麗でした、と言おうとしてわたしは口を閉ざした。もしもわたしがこの修道院に一生とどまることになったら、河高さんと最後の審判の話を何度することになるのだろう。わたしたちの物語はいつか交わるのだろうか。それともますます離れていって、それどころか、他の人たちと話が通じたと思えたこともみんな誤解だということがだんだん分かっていって、最後にはたった一人で言葉を失って、この世から消えていくのだろうか。(pp.173-175)
場面自体の唐突さに些か当惑もしたのだが、このボッシュのイマージュは第二部「翼のない矢」を締めくくるように再登場するのだった。2人の「わたし」は同じ幻想(幻覚)を経験したことになるが、「尼僧院長」は第一部の「わたし」が書いたこの「ボッシュ」幻想の場面を(英訳で)読んだのだろうか。

わたしはいつの間にか最後の審判を描いた巨大な絵画の一角にぽつんと立っている。頭に卵の殻を被って、鳥の脚をしている。ベルンハルトの姿は見えず、わたしだけが罪をきせられている。わたしが悪いのではありません、と言おうとするのだが、口から出たのは「かあ」という鳴き声だけだった。わたしの選んだことではありません、と言おうとしたが、やっぱりこれは全部わたしの選んだことだという認識が稲妻のように脳天に落ちてきた。そう、これはわたしが決めたことでないかも知れないけれど、やっぱりわたしが決めたことなのだ。この言い方は幼稚だけれど、「かあ」としか鳴けない者の悟りにしては上出来。羽根は黒いけれども夜行性ではない。現にこうして早朝から自分の巣の掃除をしている。恥ずかしいからといって躊躇している場合じゃない。早くみんなに謝って、ここを出て行こう。人間的に生きるためなら、人間やめてもいい。ありもしない翼の筋肉に飛び立とうとする力がみなぎってくる。わたしは両手を鳥の翼のようにばたばたと動かしながら、部屋を出て出口に向かって廊下をまっしぐらに走っていった。外に飛び出し庭を駆けまわった。誰かが見ていても誰も見ていなくてもわたしであることに違いはない。昨夜は強い風が吹いたらしく、一晩のうちに柏の葉がたくさん落ちていた。それはこれから来る冬が書き始めた前書きのようなものだった。わたし自身はどうやら後書きを書き始める時が来たようだ。(pp.238-239)
さて、『尼僧とキューピッドの弓』はオイゲン・ヘリゲル*4の『弓と禅』(『日本の弓術』)という本が語られる。第一部の「わたし」は、「尼僧院長」の話を聞いた後、(それとの因果関係は審らかではないが)「ハンブルグにいるジモーネという名の友達に、オイゲン・ヘリゲルが書いた弓道についての本を送ってほしいと手紙を書いた」(p.82)。「ハンブルグのジモーネ」によれば、「ヘリゲルが弓道について書いた本は、ジモーネの父親が学生だった頃、ドイツで流行っていたが、ヘリゲルが第二次世界大戦に向けて軍国主義国粋主義的傾向に流されていったことが知れ渡ると、急に読まれなくなり、絶版になった」(p.108)。第二部の「わたし」もヘリゲルの『日本弓道の騎士的芸術』を友人に借りて、「むさぼるように読んだ」(p.198)。そして、ヘリゲルがずぶずぶのナチス反ユダヤ主義者)だったことも知る(p.214)。
日本の弓術 (岩波文庫)

日本の弓術 (岩波文庫)

ヘリゲルの『弓と禅』(『日本の弓術』)については、取り敢えず、偶々検索で引っかかった


「オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』」 http://numb86.hatenablog.com/entry/20150404/1428133284
「最近読んだ本などなど その4 & 非文学的日本古典案内 その5 オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』 and/or 『日本の弓術』」http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20091226/1261820042
「非文学的日本古典案内 その5 続き オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』 and/or 『日本の弓術』 解題」http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20100109/1262983759


をマークしておく。
また、多和田葉子さんを巡っては、


山口一男「多和田葉子の哲学と「人間といのち」」http://www.huffingtonpost.jp/kazuo-yamaguchi/human-life_b_9449268.html


も。