プロテスタント的!

多和田葉子『尼僧とキューピッドの弓』*1から。「透明美さん」という「尼僧」の科白。


「瞑想とか、生まれ変わりとか、癒しとか言って騒いでいる人たちには、自分が歴史の中のどの辺にいるのかという自覚がないでしょう。もちろん基督教会はたくさんの間違いを犯してきました。でも、少なくとも何年にはどういう魔女裁判があったか、何年にルターが何を言ったか、ナチスの時代には教会はどういう態度をとったか、など歴史的責任をはっきりさせることがきます。自分が歴史の中に生きていることを自覚しないのが一番困ります。そういう人は、今まわりにいる人たちを簡単な言葉で誘惑して夢中にさせて、急に自分が救世主になったような気になって、人を殺したりするのです。救世主はあなたではなくて、別の人でしょう、と言っても聞く耳を持たないのです。固有名詞や年代の刻まれた歴史という居心地の悪い空間を共有することのできない人とは会話がなりたちません。会話がなければ、民主主義も不可能ということになってしまいます。」(pp.147-148)