実存的不定愁訴

「「生きづらさ」ってどういうことをいうの?(静岡市、中3)」(てつがくカフェ)『毎日小学生新聞』2019年10月31日

「生きづらさ」*1とは何か。
神戸和佳子(「ゴードさん」)曰く、


(前略)もっとスルッとスムーズに人生をやっていけそうなのに、なんだかたくさんの引っかかりがあって、生きていくのが難しいと感じることだ。
引っかかりには、いろいろある。お金がない、体が弱い、人付き合いが難しい、あるいは、はっきりとはわからないんだけどなんだかうまくいかないってこともある。しかもそれは解決するのが難しい。例えば、お金がないと収入を上げるために勉強することもできないし、人付き合いが難しいと、他の人に助けを求めるのも難しい。
さらに、そういう生きつらさはなかなか他人には理解されない。「誰だって生きるのは大変なんだよ」なんて言われてしまって、ますます孤独で苦しくなる。
村瀬智之(「ムラセさん」)曰く、

(前略)「自分のせいだ」とか、嫌なことがずっと続くと思ってしまう。でも、本当はそんなことはない。それは、「生きづらさ」という苦しみは、うまく開かないタンスの引き出しみたいに、他の人や他のものとの間で起こっているからだ。
タンスの場合、本体にも引き出しにも何の問題もないけど、引き出しにくいときがある。ちょっとかみあわせが悪い。生きづらさも同じで、生きづらいと感じている人と、まわりの人や状況が「かみあっていない」。その人や、まわりの人に問題があって、それを解決した方がいいときもあるかもしれない。だけど、ほとんどはタンスと同じで、両方に何の問題がなくても起こる。それが「生きづらさ」だ。
松川絵里(「マツカワさん」)*2曰く、

(前略)「見えづらさ」や「聞こえづらさ」「歩きづらさ」だったら、理解できる。でも「生きづらさ」って聞いても、生きることの何がつらいのかよくわからない。けどね、もしかしたら、それこそが「生きづらさ」の特徴なのかもしれない。つまり、「生きづらさ」という言葉は、困難の正体がよくわからないときに使われているんじゃないかな。
ところで、私たちはなにか困難が生じたとき、その原因を探れば解決法もわかるだろうと考えがちだ。でも、困難の正体すらわからない場合には、問題を解決するというやり方は使えない。じゃあ、どうするか?
あれこれ試行錯誤しながら、しっくりくるやり方を探るしかない。(後略)
要するに、不定愁訴